悪寒を感じた理利は急いで怪物の体内から脱出した。不用意に女生徒を
連れ出すより、怪物の死体の中に隠れた状態のほうが安全と判断してのことだ。
緊張で視野が狭くならないよう意識しつつ周囲を注意深く見回すと
視界にこちらに悠然とした足取りで歩み寄ってくる壮年の男性が入った。
背は高い。だが、肉付きはでっぷりとしており長身という感じでもない
例えるなら力士のような大男といったところか。脂ぎった皮膚といい、
たっぷりと肉のついた頬といい威厳などかけらも無い。
だが、なぜ視線が合っただけで自分は唾を飲み込んでいるのか。
「ふん、蛮人の分際でよくもわしの邪魔をしてくれたものだ」
高圧的な物言いに反駁したいのに声が出ない。のどがカラカラだ。
「だがいい気になるのもこれまでだ、精々わしの気分散じの役に立ってくれよ?」
全身に緊張を漲らせ身構える理利。
「エンチャント」
男が腕輪のついた右腕を掲げ周囲が光に包まれる。反射的に腕で目を庇う理利、
奇妙な感覚はこれまで戦った誰よりも強いエネルギーを感知している!
光が収まったときには男はカブトムシが直立したような姿の怪物に変貌していた。
もともと大柄な男だがさらに一回り大きくなっているような気がする。
(質量保存の法則はどうなってるのよ)
さらに増した圧迫感にやや現実逃避じみた思考がよぎる。
(君の制服と変身後のコスチュームの質量差を考えれば君にそんなことを言う
資格など無いと分かりそうなもんだけどねえ)
マロードが呆れたように突っ込みを入れてくるが、なんとなく彼も動揺している
ことが伝わってきた。相手に飲まれかけている自分を心配していることも。
軽く深呼吸して相手を見据える。大丈夫、私は本番に強いんだから。
そう自分に言い聞かせる。


(来る!)
怪物――この場合元が人なので怪人?――が大地を蹴る。どう見ても
鈍重そうな外見に反して加速力はかなりのものだ。相手が腕を振りかぶってくる。
相手のパワーが不明な以上受けるのは危険と判断し、後方へ飛び下がる。
腕をたたきつけられた大地が陥没し、周囲に土砂が飛び散るのを見て理利は
自分の判断の正しさを確信した。とんでもない威力である。
(あの女の子を怪物のなかに残しておいて正解だったわね)
外にむき出しの状態では怪人に攻撃されなくてもいずれ土砂の直撃をうけて
怪我は避けられないだろう。とはいえ怪人を怪物の死体から引き離したほうが安心
なことは間違いない。
怪人が2撃目を放つがすんでのところでかわすことが出来た。
女生徒から引き離す意味もこめて距離をとり、相手を探る。全身から
エネルギーが放出されているが、手足と右胸の部分が特に強い反応を示している。
足は変身した理利が走るときと同じ理屈だろう。驚異的な一撃の威力も
手に込められたエネルギーが理由のようだ。
(おそらく重量級の肉体を大出力でぶん回すパワータイプで中枢は右胸
といったところかしら)
横殴りの一撃を回避しつつ推測する。重く、速度もある分小回りはそれほど
聞かないようだ。触手攻撃と違い人間に近い動きをする以上予備動作で
狙いを推測すれば、野球選手が投手のフォームから球筋を推測することで
高速で飛来する小さなボールにバットを当てることが出来るように、
攻撃をかわす事は決して不可能ではないだろう。
とはいえこちらは連戦の上毒を受けている。威力より即効性を重視した毒らしく
すでに自覚症状は無い程度に回復しているが、早めに決着をつけたいところだ。
そしてその機会は意外と早く訪れた。何度か攻撃をよけるうちに
向こうも焦れて来たのかやや雑で大振りな一撃を放ってきたのだ。
「もらった!」
理利は千載一遇の機会とばかりに懐へもぐりこむと右胸をめがけ突き入れる。


「!」
だがその一撃は傷一つつけることすらかなわず弾き返された。
なんと言う強固な装甲、間接の隙間を狙うしかなさそうだ。
いったん体勢を整えようと後方へ跳躍する。
だが深入りをしすぎたようだ。怪人の拳が理利に迫る。かわしきれないと見た
理利はとっさに腕を交差させて身を守ろうとした。下から突き上げられた
怪人の拳が理利の腕を守る籠手と衝突する。金槌を鉄板に思い切り叩きつけた
様な音がして、理利の体は宙に舞った。後ろに跳ぶ事と吹き飛ばされたことで
衝撃のほとんどが逃げたにも関わらず骨まで響くような威力だ。
理利の視界にエネルギーを噴射することでこちらに破城槌の如く突撃する怪人が映る。
角で串刺しにでもしようというのだろう。避けようと必死で体を捻る理利。
赤熱した火箸を押付けられた様な感覚と交通事故のような衝撃。
怪人の角が理利のわき腹を切り裂き次いで肩が腹部にめり込んだのだ。
あまりの苦痛に言葉の体をなさない絶叫をあげ、地面にたたきつけられる。
口の中で吐瀉物と血の味が混ざってひどい気分だ。頭の中が重くてぐらぐらする。
「ふん、ちょこまかとてこずらせおって、なかなかいい顔になったではないか」
たしかに胃液や血、涙で顔がべたべたする。汚いから拭きたいけれど、
体が痛いし重たいし動かすのが億劫だ。
光がさえぎられる。言うまでもなく怪人がそばに来た所為だ。
怪人の片足が自分を踏みつけようとゆっくりと持ち上がってゆく。
これまでひたすら殴りつけてきたのにわざわざ踏みつけようとするのは
勝利を確信したからだろうか。
それを見て……

ニアヒロインたる者いやボーンの一つや二つ起こしてみせる
  心が折れる


ニアヒロインたる者いやボーンの一つや二つ起こしてみせる

怪人の足が地に叩きつけられる。衝撃が少し離れたところにいる私にも
伝わって……あれ?何で踏みつけられたはずの私が離れたところにいるのだろう。
これがうわさの幽体離脱というものだろうか?それともすでに死んじゃって幽霊に?
でも倫理の先生は輪廻転生のある宗教なら死んだらすぐ別の生き物になるし、
キリスト教とかなら天国か地獄に行く。よって幽霊はありえないとか言っていた
でも私は幽霊として……。
(よかった……うまくいったんだ)
理利の取り留めの無い思考はマロードの声で中断された。
(何がうまくいったの)
(空間転移だよ!自分ひとりならとにかく、理利をつれて出来るとは思わなかった)
どうやらすぐ危険に首を突っ込む宿主の為にかなり無茶をしてくれたようだ。
まったく自分には過ぎた相棒なので失敗したらどうなっていたかは考えないことにする。
ゆっくりと立ち上がりわき腹の傷口を見る。早くも出血は収まったようで、われながら
異常な回復能力に呆れ返った。いったん退くべきか否かためらったが怪人が
戸惑っているのを見て決断する。怪人の背後から接近するとさすがに
気がついたらしく、振り向いた。その顔めがけ剣を投擲する。首を動かして避ける
かと思ったが、腕で防いがれた。しかしかえって好都合だと防いだ腕のわきの下
めがけて新たに形成した剣を突き入れたが刀身が半ばまで埋まったところで
硬いものに突き当たったこれでは急所に届かない。だが後退してはさっきの
二の舞となってしまうだろう。だから刀身にありったけのエネルギーをこめると同時に
刀身を強引に収束させる。剣が負担に耐えられず爆発し、理利を吹き飛ばす。
そして怪人に突き刺さった部分で起こった爆発は外側が強固な装甲に覆われている分
エネルギーの逃げ場がなく、怪人の内部を破壊して回った。
怪人が崩れ落ちる光景に理利は胸をなでおろした。爆発のせいで少し傷口が開いたが
安堵した気持ちが痛みを覆い隠し気にならない。怪物の中においてきた
女生徒をつれだすため理利は歩き出した。