夜の公園。月も星も見えない今夜は、まばらな街灯の光だけが照らしている。
そこには異様な光景が広がっていた。
人影は一つ。
強気な瞳が特徴的な少女。街を歩けば周囲の視線を集めてしまうくらいに整った顔。だが、今の彼女はそんな顔よりも目に引くものがあった。それは手足を武骨に覆う鎧。甲冑に包まれた手足はこれ以上なく雄弁に異様を伝えている。
異形の影は数十。
トラック程に巨大なカメが一匹。カメから少女を守るように、蜥蜴と人が混ざったような異形が多数。トカゲは武装しているつもりなのか、それぞれの手に適当な物を掴んでいる。木の枝、ベンチ、ゴミ箱、空き缶……。
その様子は滑稽とも言えるが、非現実な存在によって不気味に見える。
数も体格も勝っている異形達は色を映さないような瞳を少女から離さない。
少女は薄い笑みを異形に向け軽く呟く
「二十……三十はいるかな? でも、それくらいじゃ問題ないよね」
『油断しちゃダメっちゅ。後ろのカメの魔力は今までの魔獣よりも強いっちゅ』
「大丈夫、ヨユーヨユー」
独りで呟いていた少女が真剣な表情を見せると、音もなく
閃光が夜を染めたかと思うと、次の瞬間にはトカゲ達はすべて上空に吹き飛んでいた。
次々と地面に落ちると、黒い塵となって消えていく。
最後に残ったカメを指差し、勝ち誇ったように少女は言った。
「さあ、後は亀さんだけだよ。――ブロウ・マグ!」
先程のように一瞬で間合いを詰めると、右の拳を甲羅へと叩きつける。
金属がぶつかるような音が響くと、少女の拳は弾き飛ばされてしまった。
信じられないという顔の少女に、カメは得意そうに笑う。
「バカめカメ。この甲羅には256層の魔力結界と128の対物理、対魔の術式を刻んであるカメ。まさに無敵の盾カメ」
誇らしげに鼻を鳴らしながら、もう一発打ち込んでこい、というようなカメの態度が憎々しい。
(説明的なセリフだね)
油断しきっているカメから数歩分距離を取ると、腰溜めに拳を構える。
短く呪文を唱えると、拳の軌道上に浮かぶ三層の魔法陣。
「その程度が無敵? 見せてあげる。あらゆる防御を貫く必殺の拳。いくよ! ペネトレイトブろぅ……?」
――ぞくり、と走った悪寒に、発動直前の魔術をキャンセル。顕現した魔力が行き場を失い右手を焼くが、そんなことはどうだっていい。今は逃げる
『ど、どこにいくっちゅ!?』
後方へ駆け出した瞬間、少女は自分の直感が正しかったと確信する。
「――突撃っ!」
『Yes.Master』
静寂を砕くエグゾースト、闇を裂くヘッドライト、そして巨大な魔力反応。
頭上から隕石のように、魔力に包まれた何かが落ちてきて――激突。
轟音と共に撒き散らされた砂埃が墜落地点を覆い隠す。
衝撃で吹き飛ばされた少女が四つん這いの格好から立ち上がり、構え直す。
煙が薄れると、そこには甲羅が砕かれ、巨人に踏み潰されたかのように倒れたカメと、バイクに乗った一人の少女がいた。
十代後半のその少女は、充分に発育した体を漆黒のライダースーツに包み、巨大で禍々しいバイクとは不釣り合いなおっとりとした表情を見せている。
「……誰なの、あなた」
甲冑少女は警戒を動かないカメから少女へと移す。
車上の少女はその様子にクスリと笑い、澄んだ声で答えた。
「私はイブ。貴女と同じ……魔法少女です」
自分以外の魔法少女に初めて出会った――というより存在しているとも思わなかった彩花は、何と返せばよいか目を白黒させる。
「あっ、あの、あたし……」
「ごめんなさいね。邪魔するつもりじゃなかったのだけど……苦戦しているようでしたから」
「私以外の魔法少女に初めて会ったのですけれど、あまりに――弱いのですね」
「え?」
笑顔のまま告げたイブの言葉に彩花が固まる。
「あ、悪口というわけではなくて、誰しも才能というものがありますから、気にしなくてもよろしいかと……」
相手の表情に怪訝なものが浮かぶのを見て、イブはフォローにならないフォローをする。
「もしかして、ケンカ……売ってるのかな?」
「そんなつもりじゃ……。私、弱いものイジメって嫌いなんですよ」
不穏になっていく空気の中、忘れられたカメが静かに動きだした。
静かに口を開き、中から数本の触手を伸ばす。その触手の一本一本が魔法陣を展開し始めた。
注意が他に向いている今なら確実に効果がある、その確信を持って慎重に慎重に魔力を注いでいく。
倒したと思ったカメから魔力反応を感じ振り返る二人。だが、もはや回避も防御も間に合うタイミングではなかった。
彩花はせめてダメージを減らすべく手甲に魔力を集中させて攻撃の瞬間を待った。
だが、予想していた痛みも衝撃も感じない。
「……?」
不思議に思いながらも反撃に移る。
カメは背中の甲羅を完全に脱ぎ捨て、奇妙な蜥蜴のような姿を見せている。
「必殺……」
鋭い踏み込みとその勢いが乗せられた重い拳が、直撃の寸前たやすくかわされる。
カメという鈍重なイメージからかけ離れた動きに内心驚きながらも二撃、三撃と攻撃を繰り出していく。
「当たらなければどうということもないカメ」
すべて回避したカメは反撃とばかりに触手を伸ばす。
攻撃にばかり集中していた彩花はヌメつく触手に捕らわれ、動きを封じられた。
「は、放してよ。このヘンタイ!」
「カメカメカメ……放せと言われて放すわけないカメ。まずは……その動く口から魔力をもらおうかな……カメ」
口の中からもう一本、他の触手より一回りは太い触手を取り出した。先端からは透明な液体を滴らせ、ヒクヒクと震えながらゆっくりと彩花に近付いていく。
助けを求めようとイブに視線を向けると、彼女はバイクにもたれて「もう食べられません……」と寝言を漏らしていた。
「睡眠魔法カメ。本当は眠っているスキにお前らの魔力を奪うつもりだったが……たまには抵抗する獲物も良いカメ」
助けを呼べず、身動きも取れない魔法少女に触手が触れた。
生臭く、やけに暖かいソレが頬を伝う感触に背筋を震わせながら、悲鳴だけはあげなかった。
ヌチヌチと汁を塗りたくる触手に耐えながらも、視線だけは真っ直ぐにカメを睨みつける。
カメはその視線を楽しみながら、触手を顔中に這わせ粘液で染め上げる。
「早く口を開けるカメ。あ〜んカメ」
少しイラついたように唇をこじ開けるように触手をぶつける。
触手の生臭さと熱に彩花は次第に朦朧となっていく。息苦しさに口を開こうとした瞬間、視界に銀の煌めきが見えた。
胸一杯に空気を吸い込むと悪臭に噎せ返りそうになった。それでも呼吸ができたことに満足する。次の瞬間には触手が潜り込むことも忘れて酸素を求め続けた。
想像していたような触手の感触はなく、襲ってきたのは突然の浮遊感と小ぶりな臀部に走る痛みだった。
「え?」
尻餅をついた体勢で彩花が見たのは、黒い塵となっていくカメとその額に刺さった針だった。
「油断大敵、なの」
背後からの声に振り向くと、大きめの道服を纏った、彩花よりもなお小柄な少女が立っていた。
少女は彩花の横を通り過ぎ、カメに刺さっていた銀針を懐に入れる。
地面に残っていた塵を踏みにじると溜め息を吐きながら、彩花にようやく顔を向ける。
「三人目の魔法少女にして、真のヒロイン参上……なの」