「それでは、私はこれで」
「おう、お疲れさん」
 時計の針が既に九時三十分を示した頃、漸く一虎は帰宅した。既に食事は管理局の中で
済ませてきたので腹は減っていないが、不満や文句、疑問などは山程あった。
「なぁ、親父」
 そう言葉を発し、しかし一虎は黙り込む。
 どこから話を聞けば良いのか、分からない部分が多過ぎて何から尋ねれば良いのか整理
出来ていない。箇条書きにすれば、それこそすらすらと出てくる。
 何故、英雄と呼ばれていたのか。
 何故、腕輪であんな変身をするのか。
 何故、変身する腕輪が複数存在するのか。
 何故、それら全てを黙っていたのか。
 正しい順番が分からず、小さく溜息を吐く。自分を送ってくれた橙色の髪を持つ局員の
女性、オレンジ・Dは父、虎蔵に聞いた方が良いと言って何も話してくれなかったから、
余計に意味が分からなくなる。そもそもオレンジ・Dはああ言っていたが、これは訊いて
良いことなのだろうか。そのような疑問もある。
 糸口が掴めずに話しあぐねていると、不意に虎蔵が頭を撫でてきた。五十数年の時間を
過ごしてきた掌は固く、虎蔵の性格そのものを示すような感触を伝えてくる。父親の背中
という言葉があるが、一虎にとっての目標は背中ではなく掌だ。幼い頃から感じてきた父
の掌の感触に、安堵の吐息を吐いた。
「ただいま」
「おう、おかえり」
 笑みを浮かべた虎蔵は、しかしすぐに目を鋭いものへと変えた。
「話は全てDから聞いた」
 全て、というのはどの範囲を示すのだろうか、と考える。自分が里美を助けに向かった
辺りからなのか、それとも本当に全て、あの三人組の幼女達も含めての辺りからなのか。
それもまた聞かされていなかったことだ。
 それも含め、どう尋ねようかと一虎は考えるが、それは虎蔵の言葉によって遮られた。
「大変だったな、取り敢えず風呂にでも入れ」
 それから全部話を聞かせてやる、と言い、虎蔵はリビングへと向かっていく。
「どんな話だろうな」
 その背中を眺めた後、呟いて一虎は風呂場へと向かった。



Take2『青の風、赤の海(前編)』

 ◇ ◇ ◇

「よく、この場所が分かりましたね」
「悪人の隠れ家としては芸が無いな」
「そう言わないで。あたし達だって、好きでこんな選んだ訳じゃないのよ?」
 郊外の廃ビル群の一室、三人の女性が立っていた。一人は橙の髪を持つスーツ姿の者、
一人は青の瞳を持つ者、一人は赤の瞳を持つ者だ。そして、橙の髪の女性、オレンジ・D
は残る二人とは全く姿は似ていないが、しかしそれぞれに共通しているものがあった。
 腕輪だ。
 Dは自分の髪と同色の宝石が填め込まれた、RRとBRはそれぞれの瞳と同色の宝石が
填め込まれた銀の腕輪を身に着けて対峙していた。しかも、それらは全てが低い起動音を
鳴らしており、既に行動を開始出来るということを示していた。
 三人が同時に腕輪を掲げ、腕輪は己の機能を開始させる。
『『『FullmetalTiger:Enter;』』』
 三方から電子合成された声が響き、変化が起きた。
 Dの体が白色の光に包まれ、長身だった体の輪郭が小さなものに変わり、光が弾けると
幼女の姿が現れる。腰まで届く長髪の色は体の変化前と同色の橙色、しかし彼女は瞳の色
までもが橙に染まっていた。服装はラフな白のノースリーブパーカーとデニムの半パンへ
変わり、先程までの姿は面影すらも残っていなかった。
 しかし目を引くのは服装ではなく、身に纏った装甲だ。
 両腕と脚部、胸部のみを覆う橙色の無骨なデザインの装甲。薄めの金属板で作られた、
防御よりも機動性や関節の動きの範囲を重視して作られたものだ。それらの重みを感じて
Dは吐息、呼吸を整えながらイケると小さく呟きを漏らす。装甲の隙間から合致した際の
余剰熱量が吐かれ、蒸気音が鳴るのを聞きながら、Dは構えをとった。
 対するBRとRRの変化は数時間前に見たものと同じもの、黒のゴスロリドレスの上に
それぞれ青と赤の瞳や髪を持つ姿だ。身軽なDのものとは対照的にそれぞれのイメージ色
の重装甲を両腕、肩部を含んだ胸部、腰部、脚部に纏い、それすらもドレスの一部として
取り込んだような絢爛な姿になっていた。色を除けば左右対照な二人はやはり左右対照な
姿勢で構えを取ると、Dを冷たい目で睨みつける。


 暫しの静寂。
 そして空気が動く。
 先に動いたのはDだ。
「第五番監獄都市管理局戦闘特課所属『夕槍』オレンジ・D、参る!!」
 叫び、駆け出すと同時に掌の中に得物が出現した。
 金属棍だ。
 長さ三尺、身長と殆んど変わらない長さの武器を握り締め、Dは突進する。狙いは左側、
こちらに対し防御の姿勢に入った赤の幼女を最初の標的とした短期戦だ。自分が身に付け
ている腕輪は元々配付される予定だったので調整は既に済んでいるが、対する相手はまだ
微調整が残っているだろう。しかし数の上では2対1で、戦闘が長引けば長引く程に不利
になってくるのは目に見えている。加えて槍使いの自分と相手の装備であるワイヤーとの
相性は悪く、流れが相手に傾けば敗北は必至だろう。だからこそ狙いは短期決戦。それが
無理だったとしても、少しでも数を減らしておけば後で楽になる。1対1の状況ならば、
例え相性が悪くても大抵の相手には勝てるという自信がある。
「そうすれば」
 残りは相手のリーダー格である柴崎・八厳一人のみとなるし、その後は管理局の力押し
でも何とかなるだろう。そこまで考え、Dは思考を切り替えた。まだ何も起きていない内
から先のことを考える、ということは悪いことではないが、先走り過ぎた結論は禁物だ。
特に戦闘では油断に繋がるし、その油断が敗北や、さしては死に繋がってゆく。腕を振り、
スイングの姿勢に構えると、Dは目の前の敵に集中する。
 一閃。
 ふ、という音をたてて息を吸い、腰を捻っての全力旋回。槍や棍などの長物で行う殴打
の利点は、剣やナイフなどよりも遥かに広い範囲と、その長さや質量による高い遠心力だ。
突きのように手数で攻めることは出来ず、剣などのように軽く自在な取り回しが出来る訳
でもないが、室内という狭く限られた空間では回避行動が難しくなる。
 果たして、その一撃はRRの体を捉えた。
 風切り音を引きながらの一撃は、赤の幼女の体を一瞬で吹き飛ばす。外敵に備える為か、
強固な作りの壁に激突したものの壁を抜けなかったのは幸運だ。戦い辛いのは変わりない
ものの、移動範囲を増やして不利になるよりは何倍もマシだ。そう考えながらスイングの
勢いを消さないままにDは回転、二度目の横薙ぎをBRに向けて放った。


 しかし、
「二度は無理か」
「当然です」
 一撃目で殆んどの力を使った上に、装甲を含めたウェイトの差もあったのだろう。その
打撃は止められ、お返しです、というBRの言葉と共にDは投げられた。
「いきますよ」
 着地の姿勢を取りながら、Dは見る。
 BRが両腕を広げると同時に、その指先に変化が起きた。指先の装甲が展開し、奥から
小型の円筒が競り上がってくる。そこから炭酸の栓が抜けるような音が鳴り、現れたのは
視認不可能な程の極細の単分子金属ワイヤーだ。ワイヤーは一瞬で2mにまで延長し、
「受けなさい」
 直後、腕の振り降ろしと手首のスナップによって高速で飛来する。弱い白色光を発する
蛍光灯を破砕し、デスクを切断し、空間をも削る線の刃は指の数と同等。左右に五本ずつ、
数えて十の鋭糸を確認し、Dは下方へと棍を突き出した。
 轟音。
 ワイヤーが床を撃ち、土埃を巻き上げるが、それだけだ。
 Dの体は床から2m近く、天井の付近を舞っていた。
「何を!?」
 Dの取った回避行動はシンプルなもの、棍で床を強く打っただけだ。だが互いに身長は
1m程しかなく、BRの攻撃はワイヤーを横に走らせたもの。それ故に軌跡は低いもので、
反動で体を浮かせれば軌道上には身が入らないという単純な理屈だ。更に装甲の駆動系に
よって肥大化した力で天井にまで飛べば、足場の存在しない宙とは違い新たなベクトルを
加えることが出来る。Dは天井を蹴り、身を捻って打突の構えを取ると、
「まずは一人目!!」
 ダイブを敢行する。
 離れていればワイヤーの範囲の広さや自由な動きが厄介だが、至近距離では力も載らず
攻撃の範囲も狭いものとなるし、打突が当たらなくても懐に入ればこちらが有利になる。
 狙いを正確に定めて腕を突き出すが、しかし、それは叶わなかった。
 鈍音。
 BRの背後から伸びたワイヤーが、Dを吹き飛ばす。瞬時の判断で防御に移行し身体を
切断されるのは防いだが、受け身の姿勢を取るのが間に合わずに背中から壁へ激突した。
元々は攻撃と機動力を重視した装備だ、緩衝の力でも衝撃を殺しきることが出来ずにDの
全身を鈍い痛みが走り抜ける。圧迫された肺から強制的に空気が絞り出され、何度か咳を
した後で漸く呼吸が整い始めた。


「油断したら駄目よ、BR」
「そちらこそ、もう少し早く助けてくれても良かったと思いますが」
 声を聞きながら、BRの背後を睨む。
「怖いわね、そんなに睨まないで頂戴」
「説得力が無いぞ?」
 そうかしら、と含み笑いをしながら、RRは立ち上がる。
 不味い、と心の中で呟いて舌打ちを一つ。
 相手は予想よりも遥かに強く、魔法幼女の力を使いこなしている。僅かな時間の中での
切り合いでも確認出来たが、自分より僅かに劣るものの実力に差分が殆んど存在しない。
このままのペースならば苦戦をしつつも勝てただろうし、それならば仮に連戦になっても
何とかなったかもしれない。しかし魔法幼女の素体の力のせいか、思っていたよりも気絶
から目を覚ますのが早く2対1の状況になった。このまま普通のペースで戦えば、恐らく
負けてしまうだろう。それ自体は構わない、管理局に入り、戦闘特課に配属された時点で
既に覚悟を決めていたことだからだ。しかし只でさえ驚異的な力を持つ腕輪が相手の手の
内に三つもある状況だ。四つ目が再び相手の手の中に入り、それを使う者が現れたならば、
状況は今よりも更に厳しいものへと変わってしまうだろう。
 仕方ない、とDは腕を突き出し、腕輪を起動。痺れの残る手で、空中に出現した光学式
コンソールに指を走らせ、コードを高速で入力してゆく。
「これはあまり、使いたくなかったんだかな」
 直後、変化が始まった。



 ◇ ◇ ◇

 風呂から上がり、リビングに入った一虎を待っていたのは家族の真剣な表情だ。虎蔵や
十歳程年上の姉であるサユリ、母であるリリィ、その双子の妹のリィタ・ムーンブレア。
共に暮らしている者全てが揃っている光景は珍しいものではないが、殆んどは家族が持つ
独特の砕けた空気を持ったものだ。しかし今は正反対の、重く沈んだものに変わっている。
 何と無しに襟を正して食事の際の定位置に座り、一虎は虎蔵を見た。
「さて、何から話したもんかな。そうだな、二十年前に大戦が有ったのは知っているな?」
 訊かれ、少し間を置いて一虎は頷いた。巨大な研究施設の残党が作った機械人形の軍と
全管理局との総力戦、世界を賭けた大戦が有ったのは授業で習ったことだ。全ての管理局
が兵を出したということは、戦闘能力を持つ虎蔵も当然出たということになる。数時間前
に思い出した言葉、幼い頃に聞いた『英雄』という言葉も、きっとそれ絡みなのだろう。
だが、それと今の事件と何の関係があるのだろうか、と考える。残党は大戦のときに全て
捕まった、と聞いているから、今回のものとは関係があるとは思えない。第一、魔法幼女
へ変身することと、大真面目な戦いが頭の中で結び付かなかった。確かに機械人形ならば
まだしも、人間では到底有り得ない程の力を得たが、それがどうだと言うのだろうか。
「その大戦では、正確には大戦の前から先兵と戦っていたんだがな。リリィは、その当時
から技術者として参加していたんだ。そのリリィが俺に提供したのが、お前も今日実際に
体験しただろう、『魔法幼女プログラム』だ。『D3』に対抗するには、その力が……」
「ちょっと待て親父」
 大真面目に話していたので危うく聞き流してしまいそうになったが、慌てて突っ込みを
入れた。今の機会を逃してしまったら、きっと永遠に突っ込めなくなってしまうだろう。
「意味が分んねぇ」
「あ、そうだな。『D3』というのは『Dragneel.Danceing.Doll.(竜舞人形)』の略でな」
「いや、だからよ!! 何で幼女なんだよ!?」


 何故そんな馬鹿のような外見に設定してあるのか、そして虎蔵も実際に魔法幼女として
戦っていたのか。想像するだけで背筋が冷たくなってくる。リリィに自分が産まれる前の
虎蔵の写真を見せて貰ったことがあるのだが、そこに写っていたのは現在より幾らか皺の
少ないだけの姿。つまり背は高く、骨の太い体に鍛え込まれた筋肉が付き、それをスーツ
で覆った中年手前の男の姿なのだ。恐ろしい、どこの世界に魔法幼女に変身するイブシ銀
が存在するというのか。自分などの家族を溺愛するときのヘドロのような目は正直キツい
と思うときもあるので置いておくとして、それ以外の部分、これまで積み重ねられてきた
完璧な父親の姿が音をたてて崩れていくような気がした。改めて考えてみれば妙な部分も
結構多いのだ。現在のリリィは三十路を少し超えたばかりなのに対し、虎蔵は五十代半ば
という、実に親子程も離れた歳の差カップルだ。しかも自分を産んだときの年齢は十六歳、
現在の自分の一つ下なのである。とんだロリコン親父だったのではないだろうか。自らも
幼女の姿となって戦っていただけに、朧気だった恐怖は輪郭をはっきりとさせてゆく。
「いや、寧ろ変態か!!」
 気付けば我知らず、椅子がテーブルから15cm程遠ざかっていた。
 それを制したのはリリィだった。
「落ち着きなさい、一虎。貴方は思考を暴走させる悪い癖があります、いつも注意してる
でしょう。全く、どうしてこうなったのか」
 溜息を吐くリリィに、遺伝ね、とリィタが小さく毒づいた。サユリもそれに頷きを返し、
リリィは眉を軽く寄せる。因みに、フォローする立場である筈の虎蔵は愛しい息子に変態
呼ばわりされて落ち込んでいた。これは自分が何とかした方か良いのだろうか、と一虎は
リリィの方を向くが、リリィは咳払い一つで発言を流し、
「ここから先は私が説明します。幼女なのは嫌がらせでも何でもなく、対象とした存在。
つまりはモデルになったのが、あの『暴君』だからです。人類では最強と言われた女性、
フランチェスカですが、彼女の出身である軍でデータを陰匿され、五歳頃までのものしか
入手出来ませんでした。それでも、その頃から並の人間を遥かに凌駕する身体能力を所持
していたので使った訳です」


 そこで言葉を区切り、リリィはこちらを見た。
 一虎は納得する。『暴君』といえば三日で三千人の殺戮、しかも装備が剣一本で行った
という化け物のような力の持ち主だ。リリィの言う通り、恐らく幼い頃からその力の片鱗
を見せていただろう。身体能力に関しては努力して手に入るものもあるが、生まれついて
のもの、体の才能と言うべきものは本人の中にしか存在しないからだ。転移装置の応用、
肉体の再構成時の変換機能を利用して他人の体を使う技術があるのことも知っていたから
倫理上はどうであれ、理屈の上では馬鹿らしいものではないということも理解出来た。
「ごめん、親父」
「気にするな。俺も幼女に精神的に馴染むのには苦労したから、お前の突っ込みは分かる」
 一虎は一つ重大なことを思い出した。
「そう言えば親父、『英雄』って何だ?」
「それはね、その大戦のときの中心が虎蔵さんだったからなのよ。格好良かったわ」
 代わりに答えたリィタは虎蔵に潤んだ瞳を向け、熱っぽい吐息をする。
「リリィ、まだ諦めていないのですか?」
「一虎君、新しいお母さん欲しくない?」
「一人暮らしを拒んでいるのも、お見合いを全て断っているのも、まさか!?」
「リリィお義母さん、目がマジになってるわよ?」
 十分程口論が続いた。
 その間、一虎は考えていた。魔法幼女の成り立ちと存在することの意味は分かったし、
相手をした三人組が全員同じ顔をしていたことの推測も着いた。あれは恐らく魔法幼女を
複製し、改良したものなのだろう。管理局の人間であるDが知っていたことから察するに、
こちらのサイドで作られたものを相手が奪ったと考えるのが自然か。数日前、第7番監獄
都市管理局が襲撃を受けたという事件がニュースで報道されていたことも考えれば全ての
疑問が一つに繋がる。腕輪の存在にしても極秘扱いなのだろうし有ってはならない話だが、
蛇の道は蛇で知る者も居るから罪人が知っていたことにも疑問は無い。そして力を求める
罪人だったならば、それを手に入れようとすることも当然だろう。


 しかし疑問点が一つ残る。
「何で、こっちまで来たんだろうな」
 力を手に入れた後ならば、少し身を潜めておくなり、別の場所に移るなりするだろう。
魔法幼女プログラムの存在を知った上での行動ならば、少なくとも手に入れたものと同等
の力を持つオリジナルがある場所へは来ないだろう。万が一倒されてしまい、腕輪を取り
返されでもしたら元も子もなくなってしまう。
 それに答えたのはリリィだった。
「いえ、寧ろ進んで来たのでしょう。狙いは多分、一虎が持っているオリジナルと」
 とん、と自分の胸を叩き、
「私達の命です」
「そうね」
 意味が、分からなかった。
「あれを作れるのは、開発者である私とリィタだけ。逆に言えばオリジナルを手に入れ、
そして私達を殺してしまえば誰にも作ることは出来なくなります」
 納得しかけて、すぐに首を振る。理解したくない問題だ、命をまるでのチェスか何かの
駒のように扱うことが生理的に受け付けない。リリィも何故そのように冷静に話を出来る
のだろうか。見渡してみればリリィもリィタも、そして虎蔵までもが冷たい目をしていた。
サユリは唯一違う表情をしていたが、それも俯いて目を閉じているだけだ。
「これはさっき皆で話し合ったんだが、引っ越そうかと思っている。ここの住民には悪い
と思っているが、後は全て管理局の連中に任せようかとな。俺ももう戦える年じゃないし、
お前なんかは問題外だ。今日こそは止むを得ない事情があったから仕方ないだろうがな、
お前は民間人だし参加させることは出来ん。剣の方もそれなりに強いのは認めるが、俺に
言わせて貰えばまだまだ実力不足だ。仮に戦闘に参加したとしても、幾らも経たない内に
殺されるだろう。親のエゴだがな、俺はまだ、お前に死んで欲しくない」


 沈黙。
 虎蔵の言葉の意味を考え、誰にも聞こえないように吐息する。言っていることの意味は
理解出来るし、自分でも分かっていることばかりだ。きっと自分が戦っても子供が大人を
相手に喧嘩をしているのと同じ、手も足も出ないままにやられてしまうだろう。三人組を
相手にそこそこ上手く戦えていたのだって、今にして思えば偶然だろう。あの時は精神が
がハイな状態になっていたから戦えていると思っていたものの、実際最後は紫色の幼女の
一太刀で吹き飛ばされていた。
 だが、このままで良いのかという疑問が頭をもたげてくる。
 虎蔵の言うことは、この監獄都市を捨てて逃げるというものだ。それはつまり里美をも
見捨てるということ、今日のように危険に巻き込まれていたとしても無視をして逃げろと
いうことだ。それは、それだけは認めたくなかった。
「ちょっと、考えさせてくれ」
 一虎は緩慢に立ち上がると、リビングから抜け出てゆく。
 ドアを閉める音が響き、その後静寂がリビングを支配した。
「年を取るってのは嫌なもんだな。俺も二十年前なら、あいつみたいに戦おうと思ったん
だろうがよ。間違っていないとは思うが、俺の判断も正解じゃないんだろうな」
「……私は虎蔵さんを信じていますから」
 優しく言うリリィを見つめ、すまねぇな、と虎蔵は呟いた。



 ◇ ◇ ◇

『OrangeShift:aXelia;(橙幻郷疾走開始!!)』
 電子音声の声が響くと同時に、Dの体に更なる変化が起きる。
 最初に現れたのは追加装甲だ。
 空間に現れた各ユニットが、軋みの音をたてながら装甲へ繋がってゆく。推進力を増す
為の大型のバーニアが脚部、両腕部、背部へと追加され、接続機構は鋭い音をたてながら
己の役割を果たす。空気を裂く先鋭的なフォルムと各部に装着されたバーニアから連想を
するものは巨大な加速機と言うより、一つの戦闘機のようなものだ。
 変化はそこで終わらない。
 僅かに遅れて出現した別の追加装甲は、棍へと合致してゆく。上部の先端には砲の姿を
持つものが、下部の三分の一へは自らと同じく推力を増す為のブースターが繋がってゆく。
それは魔女の箒というレベルではなく、例えるならば今のDの姿と同じ、それ自体もまた
一つの戦闘機のようなものだ。
 穿つ、という槍本来の目的を体現したそれを構えると、
「覚悟しろ」
 砲の機構の根元に着いたグリップを握り、捻れば先端から光刃が伸びた。対応した背部
バーニアから溜めの光が漏れて大翼を作り、暗い部屋を白の光で染め上げてゆく。
 それが弾けた瞬間。
 Dの体は天井をぶち抜き、一気に空へと飛んだ。
 頂点に達したDは全身を半回転、満月と星を背後に置きながら叫ぶ。
「来たれ同胞、貫く意思を持つ黄昏の騎士よ!!」
 言葉と共に出現したものがあった。
 槍だ。
 Dの抱えているものと同じ構造を持つ無数の光槍が、夜の空へと展開する。
「穿て雷、神鳴る力の担い手よ!!」
 砲のトリガーを引けば、望んだ変化が起きた。全ての槍が、Dの全てのバーニアが光を
吹き、僅かな溜めの後に眼下のビルへとダイブを連続させてゆく。
 轟音。
 槍の群はビルを貫き、しかし役目はそこで終わらない。貫いた槍は自ら意思を持つかの
ように矛先を転換させ、また突貫を続けてゆく。直進し、あるいは弧を描き、ビルを補色
するかのように削り、潰し、破壊の行為を何度も実行する。
もはや喰らうという表現すら生温い、死を与える爪牙による殺戮だ。
「これで、今度こそ終わりだ」
 連なるように自らもダイブしてゆく。
 しかし、そこでDは新たに人影が立っているのを見た。



 ◇ ◇ ◇

 電気も点けずベッドに体を投げ出し、一虎は天井を仰いだ。
「意味分かんねぇよ」
 ごろり、と体を回し、携帯が視界に入ったことで気が付いた。黄色のランプが点滅し、
何か着信があったことを示している。そう言えば学校の友達が帰り際に、メールを送ると
言っていたことを思い出して携帯を開き、しかし手を止めた。
「そんな場合じゃないんだっつの」
 枕にヘッドバッドをして、そのまま顔を埋め、考える。
 引っ越しをする、と虎蔵は言っていた。あの様子から考えれば、もう数日もしない内に
決行されるだろう。下手をしたら明日にでも行われるかもしれないし、そうならば挨拶も
碌に出来ないままの別れになる。それは避けたい、と考えてデイスプレイに目を向ければ、
表示されているアイコンはメールが数着と、
「不在着信?」
 確認してみれば電話が来たのは数分前、里美からのものだった。続いてメールボックス
を開いてみればトップにあるのは里美からのもの、内容はシンプルに電話が出来るように
なったら連絡を入れて欲しいというものだった。
「そうか、里美にもお別れを言わなくちゃ駄目なんだよな」
 憂鬱な気分になりながら里美の電話番号を呼び出し、発信ボタンをプッシュ。こちらが
掛けてくるのを待っていたらしく、数コールもしない内に繋がった。
『あ、虎やん?』
「……どうした?」
 声は普段よりも低く、張りが無いもの。尋ねてみるが、返ってきたのは「何でもない」
という否定の答えだった。しかしその声も弱々しいもので、無理をしている、と悟る。
『あんな、虎やん。もしウチの首輪が外れたら、嬉しい?』
 答えは決まっている。監獄都市で産まれた二世であることを示す首輪、それが外れると
いうことは罪人の子供であるというハンデが消えることだ。将来自立し、表の世界に出た
ときに苦労することも少なくなるし、今のところは夢の話であるのだが、仮に付き合って
結婚するとなったとき、法による障害は消えることになる。皮肉ではないが、これは正に
夢のような話だ。
「嬉しいが、もしかして取れるのか!?」
『声がおっきいて。うん、もしかしたら、の話やけどね』
 勢い良く立ち上がり、声が大きいと注意されたことも構わずに歓喜の叫びを連続させ、
しかし言わねばならないことを思い出して再び座り込む。
 数秒。


「嬉しい話の後で悪いんだけどな。あのさ、俺、暫く会えなくなるんだ。いや勿論いつか
帰ってくるつもりだし今生の別れって訳でもないし寧ろ別れたくないって言うかまだまだ
こっちでやりたい事とかもあるし大事なことも山程」
『落ち着いて、虎やん』
 深呼吸を重ねる一虎に、電話の向こうの里美は小さく笑い声を漏らし、
『そっか、残念やね』
 軽い音がしたのは、クッションか何かを叩いた音だろうか。先日ゲーセンで取ったもの
だと良いな、と何度も訪れたピンク色の部屋の中を思い描きながら横になる。本当に残念
な話だ、首輪が消えてしまうのが後一ヶ月も早かったなら、また別の思い出が出来たかも
しれない。それを作ることが出来ないのが惜しくて、涙が溢れてしまいそうになる。
 それを誤魔化す為、相手には見えないというのに強引に笑みを浮かべ、目尻に浮かんだ
雫を乱暴に拭う。こんなものは無かったと、泣きそうになんてなっていなかったと、そう
言うように。先程の痕跡を消し、は、と息を吐き、
「それよりもさ、首輪の話、どうしてなんだ?」
 無理矢理に話題を転嫁し、尋ねれば、小さな笑い声。
『ほら、こないだウチが出た弓の大会あったやろ?』
 それは一ヶ月前、一虎も応援に行ったものだから覚えている。選手は監獄都市の住人に
限られていたが第三惑星のトップクラスが集まる年齢無差別の大会で、里美が見事優勝の
栄冠を勝ち取ったものだ。特に準決勝の元第三惑星王者との試合は僅差での勝利で、その
ときの光景は一月経過した今でも全くぼやけることなく脳裏に焼き付いている。
「それで?」
『うん、それを管理局の偉い人が見ててくれたみたいでな。ちょっとお仕事せぇへんか?
って言われて。それが上手くいけば、首輪が外れたり補助金が出たりするんやて』
 喜ばしい、昔からの継続が無駄にならなかったというものの見本のような話だ。
『なぁ、お引っ越しの日は決まっとるの?』
「いや、分からん。もしかしたら一週間後かもしれないし、明日いきなりかもしれない」
『残念や、お別れ会も出来へんね』
「そうだな。でも、いつか」
 必ず、絶対に、
「また、会いに戻るから、さ」
『うん、いつか、また逢おうな?』
 逢える。
 そう信じ、おう、と答えて窓の外を見た。



 ◇ ◇ ◇

 その人影が腕を振り、その周囲で何かが煌めいた、と思った瞬間、視界に信じられない
光景が飛び込んできた。
「馬鹿な!?」
 吹き飛び、自分の横を通過していくものはビルの破片だけではない。細かく切断された
槍の破片だった。無数の鉄の風が背後に流れるのを見ながら、舌を打ちトリガーの引きを
高速で連続させる。応える槍は空中には無いが、その代わりDの抱えた槍は爆発的に速度
を増した。重力の加速を味方に付け、体が痛みをあげる程にバーニアを働かせ、その速度
は音速を超過する。空気の幕を破り、無音となった世界を感じながら、向かうのは一点。
「悪魔め」
 その声も背後に置き去りにしながら、紫の幼女に突攻する。
 擦れ違う刹那の時間、勝敗は一瞬で決した。
 グリップを切断され、強制的に槍から切り離された体は慣性のまま床に叩き付けられた。
そのまま勢いは死なずに体は床を転がり、壁を二枚ぶち抜いたところで漸く運動を止めた。
バーニアの圧力を軽減させる緩衝機構のお陰だろうか、受けたダメージは全身の強い打撲
のみだが体に力が入らず、立ち上がることすら出来ない。しかし負けるつもりは無いと紫
の幼女を睨みつけ、Dは歯を
向いた笑みを見せた。
「随分良いものを見せて貰った、このような機能も有るのだね」
「貴様には見せるつもりなど無かったんだがな」
 毒を吐くDの視界に、二人の人影が追加された。
 BRとRRだ。
「八厳様、ナイスフォロー!!」
「お休みのところ、御助力感謝致します。どうぞ後はこちらに任せ、もう暫くお休みを」
 そうするさせて貰うよ、と部屋を出る八厳の背中を見送り、二人はDを見下ろした。
「ありがとうございます、お陰で新しい機能を確認出来ました」
「でも、ソレとコレとは別問題」
 RRが手首を振り、伸びたワイヤーは一瞬でDの体を拘束する。そして器用にも砕けた
天井の淵に半ば辺りを引っ掛ける腕を引き、引かれたワイヤーは幼い体を宙に引き上げる。
「さて、お・た・の・し・み」
「安心して下さい。殺しはしませんから」
 無理矢理に立たされた状態のDを見つめ、RRとBRは唇を三日月の形へと歪めた。