轟音。
 第7監獄都市管理局の研究室は、一瞬にして炎に包まれた。白と鈍色、清潔な壁と機材
だけだった空間が、炎の赤と爆炎の黒に染め上げられる。先程までの穏やかな空気は完全
に消え去り、その代わりに満たされるのは『死』という一字を連想させる重い空気だ。
「やっと、やっと私の悲願が叶う」
 燃え盛る炎の中、一人の男性が呟いた。年の頃は四十を向かえたばかりといったところ
だろうか。黒い髪をオールバックに撫でつけ、長身、骨太の体はグレーのスーツに包まれ
ている。決して短くはない年月、辛い時間を過ごしてきたのだろう、その顔には悲願達成
の喜色と同量の深い疲労と哀愁が浮かんでいた。
 ぱきり、という乾いた音をたてながら一歩踏み出し、眼前に置かれた金属性のケースへ
手指を伸ばす。正確にはケースではなく、その中に設置されているものへ。爆発の衝撃で
固く閉ざされていた蓋は開き、隠されていたものが露出していた。
 腕輪。
 全部で六つあるそれらの作りは実にシンプルなものだ、銀色の台座にはそれぞれ赤橙緑
青藍紫の宝石が埋め込まれている。しかし男は知っていた。この腕輪に、どれだけの価値
と能力が眠っているのかを。
 男がその内の一つ、紫の宝石が填め込まれた腕輪を手に取った瞬間、足首を掴まれた。
視線を足首の方向、自らの足首に目を向ければ、技術者の一人が睨んできているのが確認
出来た。彼は血に染まった白衣の背を上下させながら男を睨み、は、と息を吐く。
「それが、どれだけ危険なのか、知っているのか?」
「知っているとも。君こそ知っているかね? 私が受けた苦しみを」
 男は乱暴に足首を払い、首元に手をかけた。ネクタイを緩め、襟をずらして現れたのは
金属製の黒い、二つの首輪。それが意味するものは一つ、炎の中に立っているこの男が、
SSランクの罪人ということだ。
「貴様は……そうか。だが諦めろ、それは無駄に終わる」
「終わらんよ、その為に来たのだからね」
『八厳様、そろそろ限界です』
『こっちも崩落を開始しています』
 通信機から聞こえた女性の声を聞き、八厳と呼ばれた男は頷いた。
「これは貰っていくぞ?」
 本格的に崩落が始まったのか、各所から爆音と轟音が響いてくる。
 八厳はケースを閉じると踵を返し、炎の中へと消えていった。



Take1『虎の再来』

 ◇ ◇ ◇

 少年、守崎・一虎は全力で走っていた。
 視線の先に要る相手を目指し、体全体を飛ばすようにして足を動かす。一歩ごとの足の
振りを大きくして速度を上げながら追い掛けるが、しかし距離は縮まらない。相手の首に
あるのは白い首輪、Fランクの軽罪人だが、足だけは早いらしい。
「待てやコラァー!!」
「待てと言われて待つ奴が要るかボケェー!!」
 叫び返された瞬間、一虎の目が細くなった。強引に足を止めると身を低くして、路上に
転がっていた適当な小石を拾い、頭上に放り投げる。
「誰が」
 そして手に持った竹刀袋を腰だめに構え、
「ボケじゃぁー!!」
 フルスイングした。
 快音。
 硬質なもの同士が衝突する音を背後に置きながら、小石は一直線に相手の男へ飛来した。
それは上手い具合いに頭にヒットし、男はバランスを崩し
車道へと倒れ込む。その後ダンプが数台男の上を通過したが、運が良かったのか奇跡的に
無傷だった。一虎が近寄って見ても、外傷は小石が当たった頭から血を流している以外は
数ヵ所擦り傷が出来ている程度のものだった。
「全く、手間かけさせやがって」
 恨み言を言いながら一虎はバッグを拾い上げ、
「ほらよ、お前も災難だったな」
 背後に駆け寄ってきた少女へと投げ渡す。
 一虎が男を追い掛けていた理由はこれだった。父である虎蔵から受け継いだ強い正義感
もあったのだが、何よりの理由はこの少女の荷物が引ったくられたからだった。
「ありがとう、虎やん」
 笑みを浮かべて礼を言う少女、藍田・里美から目を反らし、一虎は髪を掻いた。二人は
いわゆる幼馴染みという間柄だが、一虎はそれ以上に思っていた。つまりは、惚れている
のである。里美は罪人の二世、一虎は管理局局員の息子という立場であるから大っぴらに
言うことは出来ないが、嫁にするならば是非里美にしたいと思っている程だ。
「虎やんにはいっつも助けられてばかりやね」
「別に、幼馴染みだし」


 純情、という言葉は彼の為にあるのではないだろうか。一虎はそっぽを向いたまま頬を
赤く染めると、虫が鳴く程の声で早口に呟いた。そしてわざとらしく里美に背を向けると、
大股で歩き出した。さよならなぁ、という里美の声には小さく手を振り、そのまま速度を
上げ、全速力で走り出す。里美には見えないだろうが、その表情は引いてしまうくらいの
ニヤけ面。通行人は一虎の顔を見て思わず後退するが、里美にさえ見られなければ良いと
ばかりに足の動きを緩めることはない。頭の中は、どこまでも里美で一杯だった。
「よっしゃ、俺スゲェ!! 親父に剣術習っておいて良かった!!」
 引ったくりを相手にした技術は厳密には剣術と違う、ただの延長のようなものだ。
「お袋にも感謝しないとな」
 正確に打つ、という動作に加え、角度と距離を正しく計算すれば後は楽なものだった。
その計算自体も母親譲りの頭脳で楽にこなすことが出来たし、全く両親様々だと思う。
 しかし、そこまでは良かったのだが、残念なことが一つ。
 鞄の中で小さな音をたてた包みのことを思い出し、深溜め息を吐いた。つい十数秒前の
ハイテンションはどこへやら、近くのベンチに腰掛けると頭を垂れて鞄をあさる。
「せっかく格好良いとこ見せたのに、今日も渡せなかったな」
 紙袋を開いて中に入っていた物を取り出した。銀色の台座に黄色、父が言うには虎毛色
の宝石が埋め込まれた腕輪だ。本当に大事にしたい相手が出来たときに使え、という両親
の言葉通りに里美にプレゼントし、そのまま付き合おうという一虎の計画は、今日で実に
五百回目の失敗を向かえていた。出そうとしてもタイミングが掴めないし、いざ渡そうと
しても臆病な自分が顔を出してきて、結局渡しそびれてしまうのだ。
 あー嫌だ嫌だ、と年寄りのような言葉を吐きながら頭を振ると、メール着信を知らせる
電子音が鳴り響いた。もしかしたら里美からかもしれない、しかも愛の告白かもしれない。
出来れば会って直接の方が嬉しい派だが、照れてメールで告白してくるのも捨てがたい。
そんな思春期男子特有のアホな期待を持ちつつ携帯を取り出すと、表示されていたのは母
というシンプルで分かりやすい一文字。開いてみれば『今晩は私が夕食を作りますので、
早く帰ってきなさい』という簡潔な予告。それでまた一虎は溜息を吐いた。


「またカレーか」
 彼の母はカレーしか作れない、他の料理を作ろうとすると確実に毒物になる。カレーは
あんなに美味く作れるのに、どうしてこうなるのだろうか、と一虎は不思議でならない。
母の双子の妹、叔母はあんなにも料理が美味いしバリエーションも豊富だというのに。
 思い出せばまた憂鬱となり、
「ちくしょ……痛ぇ!!」
 不運なことは重なるもので、一虎が立ち上がった瞬間に空き缶が頭にヒットした。
「あら、ごめんなさい」
 声の方向に目を向ければ、美女が立っていた。グレーのスーツを着た中年の男性に寄り
添うように穏やかな笑みを浮かべて立っている、しかも羨ましいことに二人も居る。双子
なのか二人の美女の外見は瓜二つ、違う部分といえばそれぞれの瞳の色くらいのものだ。
空き缶を投げた方だろう、赤い瞳の美女が頭を下げていて、青い瞳の方は片割れを半目で
睨んでいた。その二人に挟まれた状態の男性は申し訳なさそうな表情で頭を掻き、それを
目聡く発見した青い瞳の女性に注意されている。和やかな雰囲気に一虎も注意する気には
なれず、気にしないで下さい、と言って空き缶を拾うとゴミ箱へと捨てた。
「大丈夫かね?」
 意外と良い声だ、と思いながら一虎は笑みを浮かべ、
「気にしないで下さい。急に立ち上がった俺も悪いんで」
「悪いね、そう言って貰えると助かる」
 癖なのか男性は再び頭を掻いて、また青い瞳の女性に注意をされた。父もよく頭を掻く
癖があり、なんとなく似ていると思った。男性の雰囲気は荒っぽく無骨な父と正反対だし、
共通している部分と言っても背の高さと鍛え込まれた体くらいのものだ。だがどことなく、
父と通じるものがあるように一虎は思えた。
「どうしたのかね?」
「いえ、何でも」
「ところで君の名前をまだ聞いていなかったね。私は紫崎・八厳、迷惑を掛けたお詫びに
食事でも一緒にどうかね? 君くらいの男の子なら幾らでも食べたい盛りだろう」


 誘いに乗りたかったが、母からは早く帰ってくるように言われている。一虎はマザコン
という訳ではないが、家族の和を大切にしたい人間だ。その旨を伝えて丁寧に詫びると、
八厳は申し訳なさそうに笑った。少し寂しそうに見える、懐かしさを含んだ笑みだ。
「そうだな、家族は大事にすると良い。お節介かもしれんが、私は昔に娘を失っててね。
余計な干渉だと分かっているが、つい応援したくなるのだよ」
「そちらは娘さんじゃないんですか?」
 見た感じでは美女は二人とも二十歳前後、有り得ないと言いきれない年齢だ。八厳とは
あまり似ていないが、父の遺伝子が濃い自分も母には全く似ていない。
「この娘達は、そう、部下のようなものだ」
「ブルーローズ・ストライアです。他の方にはBRと呼ばれています」
「私はレッドローズ・ストライア、RRと呼んでね」
 青い瞳、赤い瞳と順に頭を下げる。成程、瞳の色か、と宝石のようにすら見える二人の
目を見つめ、一虎は納得した。薔薇の名前にふさわしい美貌に見とれつつ差し出された掌
を握り、最後に八厳と握手をしたときに一虎は気が付いた。
「あの、これって流行ってるんですか? あ、でも親父が持ってたってことは違うかな。
昔に流行ってたんですか? この腕輪って」
 それぞれの手首には、父から貰ったものと同じデザインの腕輪があった。填め込まれて
いる宝石の色は名前に沿ったもの、八厳は紫、BRは青、RRは赤色のものだ。もしや、
と疑問のようなものが一虎の頭の中を駆け巡る。もしかして宝石の色は、その人のカラー
に沿ったものでなくては駄目なのではないか。父曰く、自分の家のカラーは虎毛色だから
個人で身に付ける分には何の問題もない。しかし里美に渡すならば彼女の名字である藍田、
つまり藍色でなければ駄目なのではないか。
 悶絶する一虎を見ながら不思議そうな表情で八厳は、
「いや、これは仕事用でね、偶然私の名前と同じ色があったから選んだだけだ。ついでに
言うならば、私も長いこと生きているが流行った記憶はない。指輪に比べて大きいから、
仕事の邪魔になるものだしね」


 そうか、良かったと一虎は胸を撫で下ろす。
「何故そんなことを?」
「いや、これ見て下さいよ」
 ベンチに置いていた袋から取り出したのは、例の腕輪だった。それを見た瞬間にRRの
眉が僅かに動き、隣のBRと目を合わせた。強い疑問の色を浮かべたまま呟くように、
「オリジナル?」
「いえ、有り得ないでしょう」
「でもこの子は首輪をしてない、局員の息子よ?」
「ですが、人の手に渡すようなものではありません」
 二人はそう短く言葉を交わした後に、同時に溜息を吐く。ごめんなさいね、と短くRR
が笑みを浮かべ、BRは突然思い出したように携帯を取り出した。
「八厳様、そろそろお時間です。それと貴方」
「あ、一虎です、守崎・一虎。八厳さんとは少し韻を踏んでますね」
「一虎君、帰らなくても良いのですか? 早く帰るように言われているのでしょう」
 うわヤベェと叫び慌ててポケットに腕輪をしまい込み、一虎は家に向かって駆け出した。
「素直な、良い少年だな」
「八厳様」
「ですが」
「分かっている、感傷に浸るつもりは無い」
 風が吹く。
 その一瞬後には、三人の姿は消えていた。



 ◇ ◇ ◇

 轟音。
「何だ?」
 爆発の音にも似たそれを聞き、一虎は左方向へと目を向けた。
「あれは」
 見た途端に、ぞくり、と背が震えた。
 2km程先にある、普段は周囲の風景に紛れている普通のビル。それだけなら何も思わな
かっただろうが、今は普通の状態ではなかった。まるで煙突のように屋上の辺りから煙が
吹き上がり、そちらの方向からは大勢の人がこちらへと逃げるように駆けてくる。実際、
逃げているのだろう。誰もが脅えた目をしているし、口から漏れているのは平和な日常と
いう言葉からは程遠い、パニックの感情を多分に含んだ悲鳴ばかりだった。
 だが決定的だったのは、それらの人々ではない。
「里美」
 幼馴染みの少女は幼い頃からあのビルの中にある弓道のスクールに通っていて、今日も
稽古がある日だった。引ったくりが奪った鞄には胴着が入っていて、稽古に行けなくなる
と焦っていたから一虎は必死に引ったくりを追い掛けていたのだ。里美には悪いと思うが、
逃がしておいた方が良かったかもしれない、という後悔が浮かぶ。胴着を取り返したから
里見は今頃弓道の練習をしていたので、そうしていなかったなら今の事件に巻き込まれる
ことも無かった筈である。
 そこまで考えて、一虎は頭を振った。
「まだ、巻き込まれたと決まった訳じゃねぇ」
 もしかしたら無事かもしれない。例えば休憩時間でジュースでも飲みに出掛けていたり、
何かの用事で安全な場所に居たのかもしれない。確率は低いが、諦める必要はない。
「ごめん、お袋。今日は帰るの遅くなる」
 手早くメールを打ち、一虎は里美が居る筈のビルへと向かった。



 ◇ ◇ ◇

 ビルに入った瞬間、一虎が想像をしていたものよりも遥かに悲惨で、そして理解不能な
光景が視界に飛込んでくる。何が起きているのか、どうしてこのような状態になっている
のだろうか、そう疑問を抱きながら視線を左右へと巡らせた。だが見えるのは鋭利な刃物
で切断され、断面を無惨に露出させている『壁であったもの』だけだ。既に局員が殆んど
避難をさせた後なのか民間人の姿は存在しないし、残っている者も自分とは逆の方向に足
を急がせている。運が良かったのだろうか、怪我人らしい怪我人の姿は見えなかった。
「里美、居るか!?」
 僅かな人数ではあるが、出来ている人の流れに逆らい、その者達の顔を見ながら一虎は
里美を探して叫び声をあげた。何度も叫び、駆け、その行為を連続させる。
「里美、どこだ!?」
 この行為が、良い意味で無駄に終われば良い。無傷で、きちんと避難をしていたならば
何も言うことはない。無駄骨になることを祈りながら足を振る速度を上げ、声も毎回ごと
に大きさを増してゆく。喉が潰れても構わない、ただ無事でいてほしい。
 そして中央、自販機や椅子が並ぶ喫茶スペースに辿り着き、一虎は二つのものを見た。
 一つは気を失い倒れている里美の姿、どうやら見る限りでは無傷のようだった。それに
安堵をしながら、ポケットの中にある腕輪を握りしめる。これで渡す機会が途切れること
は無くなった。いつになるかは分からないが、それでも必ずチャンスは来る。
 二つ目のものは、呆然とするしかなかった。
「どうやったら穴が空くんだよ」
 視線を上へずらし、見上げた先にあるのは天井ではなかった。このビルは吹き抜け構造
でもなければ、特別な仕様にしている訳でもない。ごく普通のものの筈なのに見えたのは
青い空、つまり一階から十階までぶち抜かれた状態になっていた。
 しかし疑問を解消するのは後で良い、まずは里美を安全な場所へと連れ出すのが先だ。
そう考え一歩踏み出した瞬間、耳に鈍い音が入ってきた。嫌な予感と共に視線を再度天井
があった方向に向ければ、三階の辺りの床が崩れているのが見えた。破片は大きなもので、
しかも里美に狙い済ましたかのような位置に降ってくる。当たれば只では済まないだろう。


 それだけは駄目だ、と心の中で叫んで一虎は加速、三歩目でトップスピードにまで速度
を上げて里美に近付いてゆく。どうすれば良いか、一虎は必死に考える。今は普段持って
歩いている竹刀も無いし、有ったところで防げる可能性も低い。自分を盾にすれば里美の
体は比較的軽傷で済むかもしれないが、そうしたら里美を運ぶ者が居なくなる。その後で
再び崩落が来たら、それこそ共倒れとなってしまうだろう。
「駄目だ」
 残りは2m程、二歩で到達出来る距離だが、そのことにあまり意味はない。
「どうすれば」
 残り1m程、そこで一虎は十数分前に聞いた言葉を思い出した。男性は腕輪を仕事用に
使っていると、そう言っていたのだ。ならば、自分が持っている腕輪でも確率システムを
操作出来るのではないだろうか。勿論プログラムを組む時間は無いから登録済みのものを
使うしかないし、それが現状を打破出来るものとも限らない。だが使わないよりはマシだ、
一虎は一瞬でそう結論し、腕輪を起動させる。
 その刹那。
『TigerDoll:Enter;(虎騎士起動)』
 電子音声が響き、一虎の視界が白の光に埋めつくされた。
 時計の針さえ振れない程の、僅かな時間での浮遊感の後に、掌にグリップの触感が存在
することに気が付いた。その固さと長さに期待をしながら、やけに軽く、しかし力強くも
感じる腰のバネを利用してスイングする。
 鈍音。
 軽い痺れすら感じることなく破片は打ち砕かれ、細かくなった破片が床に降る音を聞き
ながら一虎は溜息を吐いた。後は里美を外へと連れてゆくだけだ、砂煙が晴れてゆく視界
の中でそう考えたとき、違和感のようなものがあることに気が付いた。
 視線が低い。
「は?」
 更に里美に伸ばした手は細く小さく、まるで幼子のようなものになっている。しかも、
先程の音で目が覚めたのだろう。薄く目を開いた里美が口を開けば、
「お嬢ちゃん、危ないよ? あたしは良いから、早く逃げて」
 そう意味の分からないことを、途切れ途切れに言ってきた。


 どんなに間違っても、自分はお嬢ちゃんと呼ばれるような外見はしていない。父譲りで
身長は高いし、体も鍛えているので痩型とはいえ筋肉質だ。顔だって年上に見られること
はあっても年下に見られることはないし、女と間違えられるような要素は一つもない。
 崩落の後遺症だろうか、と首を捻った先、視界の端に止まるものがあった。七階にある
ダンススクールの鏡が落ちてきたのだろう、そこには自分と目を合わせる存在があったの
だが、そこには自分でも信じられないようなものが映っていた。
 一言で言えば、幼女だった。
 年齢は5、6歳程だろうか。身長は低く、体は細く、保護欲を掻き立てられるような姿
をしている。腰まで伸びた波打つ金の髪も、染み一つない白の肌も、どれもが愛らしい。
肌の色よりも尚白い、目も眩むばかりのノースリーブのワンピースも、よく似合っている。
違和感があるとすれば、その手に握られた長めのステッキだ。そのステッキ、と言うか杖の
先端部、その部分から伸びた極薄のブレードを見て、これで破片を防いだのだと理解した。
「お嬢ちゃん?」
 再び話し掛けてくる里美に焦り、どう説明しようか、いやそれよりも幼女になった自分
の姿など見せられない、と慌てて背後を向いたとき、こちらに近付いてくる一人の女性が
見えた。オレンジ色の髪をアップにまとめている、パンツスーツ姿の女性だ。首輪をして
いないからには管理局の局員なのだろう、これで任せられると安堵の吐息をした矢先、
「ヘドロさん!!」
 そう呼ばれた。
 その言葉に、一虎は更に疑問を重ねる。
「ヘドロ、さん?」
 それは父が管理局の中で呼ばれている称号だし、何よりも父は自分よりも幼女と程遠い
外見をしている。ヘドロという名前を使ったからには父とはそれなりに近しい存在である
のだろうが、そうならば余計に間違えることも無い筈だ。
「あの、お姉さんは父を」
「え? まさかサユリちゃ……いえ、彼女は知っているから違うわね。一虎君?」
 名前を呼ばれ、一虎は頷いた。
「俺を知っているんですか?」


「貴方のことは虎蔵さんから毎日聞かされているわ、例の目で」
 行き過ぎた愛情のせいでヘドロのように濁った瞳、それが父の称号の由来だ。親バカは
職場でも遺憾なく発揮されているらしい、一気に脱力して一虎は床に膝を突いた。一体何
を言っているのだろう、ウンザリしながら聞いている女性の姿が容易に思い浮かび、一虎
は申し訳ない気分になってくる。
「一虎君、脱力するのは後よ。まずはここから脱出を」
 女性が里美を肩に担いだ瞬間、
「そうは問屋が下ろしません」
「逃がさないわよ」
「君に恨みは無いがね、局員であることを後悔したまえ」
 幼い声が、三つ響く。
 視線を屋上の方向に向ければ、三人の幼女が降ってくるのが見えた。しかも良く見れば、
何故か全員が今の自分と同じ顔をしていた。違うものと言えば服装と、髪や瞳の色くらい
のものだ。どのような現象が起きているのか分からず、だが危険な存在ということだけは
理解して杖の柄を強く握り締める。
 顔は他人のことを言えないとしても、見るからに異様な存在だった。左右に立つ二人の
幼女は黒のゴスロリドレスをインナーとして、その上に装甲を纏っている。一虎から見て
右側、青の瞳と髪を持つ幼女は青の装甲を。左側、赤の瞳と髪を持つ幼女は赤の装甲を身
に纏い、こちらに冷たく、しかしからかうような視線を投げ掛けている。中央に立つ幼女
のイメージは二人の色彩を混ぜたような紫だ。紫の瞳と髪、幼い体格に不似合いな漆黒の
パンツスーツを身に纏い、その両腕と両足にのみ装甲を纏っていた。
 なんとなく、一虎は先程会った三人組を思い出した。
「非常事態だわ。一虎君、君、戦えるのよね?」
「親父の足元くらいには」
 耳打ちしてきた女性に答えると、構えを取る。
「今は仮起動みたいだから、私がサポートするわ。元々オリジナルはプログラムサポート
を受けて戦うのが前提のタイプだから、私の拙いものでもそれなりにイケる筈よ」
 言いながら女性は指輪を起動。


『FullmetalTiger:Enter;(魔法幼女展開!!)』
 虎の鳴き声を思わせる起動音が腕輪から鳴り響き、続くのは電子音声の言葉。その言葉
に応えるべく、一虎の視界に変化が起きた。
 空中に無数の金属フレームやビスが出現し、それは小気味良い音をたてながら体の各部
に合致してゆく。椀部を包み込んだもの、脚部を包み込んだもの、それらに続いて胸部や
両肩、腰部を鈍色の装甲が包み、背部にはバーニアが合致した。それらを覆う桃色の外殼
が彩りを与え、一対の白い翼が生えて変化は完了する。
「これは?」
「それが貴方の戦う力、魔法幼女プログラム『マジカル☆ヘドロ』よ。まぁ、今は逃げる
時間を稼いでくれたら良いわ。正直、君は民間人だし三対一はキツいでしょう」
 それなら何とかなる、と頷いて一虎は跳躍した。
 一閃。
 バーニアによる推進力を頼りに一瞬で距離を詰め、今までの稽古で培われた経験を頼り
にしてブレードを振るう。音速超過の斬激に自分でも驚きながらも、それは自信に変わり、
刃の振いを連続させた。あくまでも時間稼ぎで、相手を倒そうというものではない。だが
自分が何かをやれている、与えられた仕事をきちんとこなせている、その実感が一虎自身
の実力を引き出し、動きをより良いものへと変えていた。
「以前の使い手が余程強かったみたいですね」
「えぇ、何てオーバースペックかしら」
 言いながらゴスロリ幼女は高速でのターンを一つ、遠心力を味方に高速でガントレット
の指先から小型の杭を打ち出してくる。狙いは一虎からずれたものだが、指と杭を繋ぐ糸
を見て身を屈めた。立ち上る土煙を切り裂いて迫るそれは、単分子の極細ワイヤーだ。
「だが、イケる!!」
 ゴスロリ幼女が放ってきたワイヤーを切断し、スーツの幼女へと接近する。何の確証も
無いが、この相手が三人のトップであることが感じられた。ならば一撃を加えてやれば、
大分有利になるだろう。相手がどんな存在でも、人間である以上はそのことに変わりない。
父の教えを思い出し、下から袈裟掛けに切り上げる構えを取った。


「喰らえ!!」
 バーニアの出力を上げ、翼を羽ばたかせて姿勢を整える。低空を滑るように疾走しつつ
刃の傾きを調整し、狙うのは微かな隙が見える相手の胴体だ。仕留められなくても良い、
せめて一太刀くれてやる。実力の差もあるだろうが、それくらいは可能な筈だ。そう思考
しながら縮まった距離は残り1m、一瞬で詰まるものだ。
「出来れば、君とは戦いたくなかったのだがね」
 何を言っているのか、と疑問を抱いた瞬間、いきなり吹き飛ばされた。恐らく見えない
程の速度で刃を叩き込まれたのだろう、高速で遠ざかる視界の中に、抜き放った状態の刀
が見えた。それでも辛うじて斬撃を与えられたのは日頃の稽古の成果だった。紫の幼女の
ジャケットが裂け、そこから緑、橙、藍色の宝石が埋め込まれた腕輪が飛び出してくる。
「一虎君、それを回収して!!」
 言われるままにブレードの先に引っ掛けて跳ね飛ばすと、ゴスロリ幼女が舌打ちをする
のが見えた。紫の幼女は落ち着いているが、二人の様子を見る限りでは重要なものらしい。
「援軍も到着したし、逃げるわよ!!」
 着地した途端に襟首を掴まれ、強制的に背後へと引っ張られた。喉が締まり息が苦しく
なったが、強く喉を絞められているせいで抗議の声が出ない。
「こちらも引くか」
「お言葉だけど、腕輪が」
「良いさ、こちらにはまだ三つもある。それに調整がまだだ。万が一にも無いだろうが、
負けたりしたら意味がない。その為に私は長い時間をかけたんだ」
「そうです、ここは撤退しましょう」
 見えなくなる三人の姿を見つめ、一虎は理解する。
 これは始まりなのだと。
 全てが始まっていて、そして自分が居たのは始まりの中心なのだと。
「嘘だろ、オイ」
 平凡な人生を送ると思っていた。
 普通に暮らし、普通に結婚し、普通に死ぬのだと。
「親父、何なんだよ。何だコレ」
 一虎は思い出す。
 幼い頃、管理局に父に弁当を届けに行った際、こっそりと父を指差して言っていた女性
の言葉。憧れるような、悪戯するような、そんな目をして言っていた言葉を。
 彼女は父をこう言っていた、『英雄』、と。