煙が晴れたとき、勝負は決していた。
葵は杏の炎の鞭で拘束されている。直接触れれば魔法はかき消されるはずだった。しかし、葵は杏のマントに包まれている。炎の鞭と葵の間に魔法を通さないマントを挟むことで、魔法をかき消されずに葵を拘束することが出来た。
「やった…」
杏は深いため息を付いて、地面にへたり込んだ。慣れない魔法を複数同時に操り、細かい動きまで制御するのは相当な魔力と精神力を消費する。見た目以上に、杏はギリギリの戦闘をしていた。しかし、見事葵を捕らえたのだ。それも傷一つつけずに。
「葵ちゃん、お願い。話してくれないかな。何があったのか。私に何か出来ることはない?」
葵は俯き、杏の言葉に答えない。杏にどこまで話していいものかわからなかった。葵が死を願っていると言えば、杏はどうにかしてやめさせようとするだろう。しかしヴァイスを打ち倒し、ただの人間に戻るという目的を伝えていいものか。そのためには杏たち魔法少女を襲う必要があるのだ。そんなことを言ったところで、さすがに杏は協力などできないだろう。それならば、無駄に情報を話すわけにはいかない。透の怒りを買い、魔力の供給を止められてしまっては困るのだ。
頑なに何も話そうとしない葵に、杏はアプローチの仕方を変える。
「葵ちゃん。じゃあ、これだけは教えて。ヴァイスのせいで闇の魔法使いにされたんだね?」
葵は小さく頷いた。それは杏たちから見ても明らかだろう。否定したところで何にもならない。
「ねぇ。どうしても私達は戦わなきゃいけないの?私は嫌だよ。これ以上葵ちゃんと戦うのは。」
杏は必死に訴える。葵も同じ気持ちだった。杏と戦うのはもう嫌だ。それでも、他に選択肢はないのだ。
「ごめんね…他にどうしようもないの…」
杏達、魔法少女に協力を求める道もあったのかもしれない。しかし、葵は杏にもカザミにも酷い陵辱をしてしまった。もうその道は選べない。
杏は葵の答えに悲しみを隠せない。しかし葵を真っ直ぐに見つめ、言う。
「それなら、私はこのまま葵ちゃんを力ずくでも私達の家につれて帰るよ。全部話してくれるまで離さない。絶対に。」
きっと葵を救う方法があるはずだ。そう信じていた。葵は自分を襲ったことに罪悪感を感じているに違いない。時間をかけて説得すれば、きっと全てを話してくれる。そう信じていたのだ。
しかし、葵は杏がそれを実行することが出来ないことがわかっていた。あの男がそれを許すはずがない。
突然、異空間全体が大きな音を立てて崩れ落ちた。
杏は急な出来事に戸惑うが、次の瞬間には衝撃と共に遥か後方へ吹き飛ばされていた。
「きゃああああぁぁっ!!!」
何が起きたのか理解できない。地面に何度も衝突し、痛む体をどうにか支えながら立ち上がると、葵のそばに男が立っているのが見えた。
男は一瞬で杏の目の前まで迫る。
「今こいつを連れて行かれるわけにはいかないな。」
冷たい声で杏に言い放った。杏はこの男が魔族を率いている闇の魔法使いなのだということを一瞬で理解する。
「あなたがリーダーなの?」
杏は透を睨み付けながら言うが、その魔力に圧倒されていることがよく分かるほどに、その言葉には力がなかった。
「リーダーというのが合ってるかどうかは分からないが、一応この街の魔族を統率してるのは俺だな。」
透は軽々しく言う。
「安心しな。今日お前をどうにかしようとは思っていない。だが、こいつはまだ使い道があるからな、お前達に渡すわけにはいかないんだ。」
そういって杏を睨み付けた。それだけで、杏は全く動くことが出来ない。口をきくことすらも出来なかった。
「じゃあ、俺達は帰らせてもらう。一応名前を教えておこうか。透だ。また今度、魔力を頂くからな。楽しみにしててくれよ。」
そういうと、拘束を解かれた葵を連れて姿を消す。
杏はその後もしばらくの間動けずにいた。そのうちにカナタがやってきて、救出される。
葵を打ち負かすことは出来たが、得ることの出来たものは何もない。素直に喜ぶことも出来ず、杏はなんとも複雑な気分でいた。
住処に帰り着いた葵は、透に犯され、殺されることを覚悟していた。透はもう充分に葵の能力を消し去るだけの魔力を持っているはずだ。杏に敗北した葵に、もうここでの存在価値はないだろう。魔力と能力だけを奪い、自分のものにするのが透にとって最良の判断だと思えた。葵はもう杏とは戦えない。戦わないものなど透にとっては何の価値もないはずだ。ただの人間に戻るという一時の間抱いた夢。それを捨てるのは悲しくもあったが、元々死を望んでいたはずだった。この結末も悪くはないだろう。
しかし葵の意に反して、透は葵を犯すことをしなかった。
「お前が使えないなら、また別の高位魔族と契約する必要があるな。」
そういうだけで、葵にはなんら罰を与えることをしなかった。葵は不思議に思う。
それに、透は充分な力を持っているはずだった。高位魔族などと契約しなくても自ら魔法少女達を襲えるはずだ。なぜ自らが行かないのか。
透はまだ杏の力を恐れているのだ。杏が一度だけ発揮した強大な魔力を。だから、杏をどうにかして始末したいと考えている。一方で、高純度で大量の魔力を持つ杏を殺してしまいたくないという思いもあった。ヴァイスを倒せるだけの力を得るためには必要になるだろう。だから、自らは戦闘に赴かずに魔族に襲わせるのだ。リスクを犯すことはしたくないというわけだ。
葵は透が自分を責めることすらしないことを不気味に思いながらも、疲労した体を休めるため寝床に着いた。これからどうしていけばいいのか分からないまま、その意識は急速に眠りへと落ちていく。