(ごめんね、お姉ちゃん)
急にその声が頭に響き、カザミは目を覚ました。隣では杏が苦しげに眠り続けている。言いえぬ不安を感じたカザミは覚束ない足取りで部屋を出て、カナタを探すが見つからない。まさか、と思い魔力の気配を追うと、昨日の魔族とカナタの魔力を同じ位置で感じることが出来た。どちらも弱っているが、カナタのものの方が酷く弱々しい。今にも掻き消えてしまいそうだ。今すぐ助けに向かいたいが、カザミの魔力はまだほとんど回復していない。弱っているとはいえ、今魔族と戦っても勝てる見込みは限りなく少ない。
カザミは唯一の希望にすがりついた。心は痛むが、他に選択肢はない。ベッドで眠る杏の肩を強く揺すって起こすと、カナタの危機を伝えた。
「カナタちゃんが、危ない…」
杏は戸惑った。今、カナタを救えるのは自分しかいないのだ。だが、もしまた負けてしまったら…?今度こそ死んでしまうかもしれない。そう思うとまた体がガタガタと震えだす。しかし、震えるその手を強く握り締め、その恐怖を振り払った。一度は決心したのだ。最後までやり通さなければならない。あの子を、杏の痛みを自分のことのように悲しみ、泣いてくれた優しいあの子を守るのだ。杏の正義感にまた火が灯った。その手はまだ震える。膝はガタガタといい、言う事を聞かない。それでも、心だけは真っ直ぐとその使命を受け止めていた。
「行こう!」
まだ魔力は完全に回復したわけではないが、弱った魔族なら倒せるはずだ。杏は触媒のアクセサリーを握り締め、戦いの衣を身に纏う。カザミも、弱ったその体に鞭を打ち立ち上がる。妹を助けるため、ここで一人眠っているわけにはいかない。
そして二人は戦場へと向かった。
イヴィルアイはその触手を伸ばし、力なく横たわるカナタを捕らえようとした。そのとき、二つの影がカナタを守るようにその前に現れた。
カナタはその気配を感じるも、体が動かずその二人を見ることが出来ない。だが、それでも分かった。それはカザミと杏なのだ。真っ黒な絶望の中に漏れる暖かい光にカナタは涙を流した。二人とも、まだ万全な状態からは程遠いはずだ。特にカザミなどはまともに戦える状態ですらないはず。そんな状態であるにもかかわらず二人は自分を助けに来てくれたのだ。
杏はカナタを見た。その傷つき様はなんとも無惨で、見るに耐えないほどだった。自分の体が傷ついたかのような痛みを感じる。そして、怒りがこみ上げた。鋭い目つきでイヴィルアイを射抜く。イヴィルアイは怯えているように見えた。
「カナタちゃんをこんな目に遭わせて…。絶対許さない!」
その気迫に押されたイヴィルアイは慌て、放てる限りの魔法を杏に向かい放つ。杏は落ち着いていた。避けるでも、魔法で相殺するでも、魔法障壁を張るでもない。ただ、その手を前に差し出し、自分に向かってくる魔法を弾き飛ばす。
「なっ!?」
イヴィルアイは信じられないものを見たような反応をする。カザミも驚いていた。手も触れず、魔法を弾き飛ばすなんて、聞いたことがない。これなら大丈夫、と安心したカザミはカナタのもとへと駆け寄り、その傷を癒してやる。
「ごめんね。あたし、あんたよりずっと回復魔法下手だけど…」
カナタは何も喋れなかったが、暖かい光に身をゆだねたその表情はもう苦痛の色を映していなかった。
追い詰められたイヴィルアイは、残された魔力の全てを体に纏い、先程カナタにしたように、杏へと突進した。それはもう自爆に近い勢いだった。その威力は先程の比ではない。なのに杏は一歩も動かず、詠唱もせずに正面からその攻撃を受け止める。文字通り、杏はその手で突進してくるイヴィルアイを受け止めていた。
「馬鹿な、なぜ、どこにそんな力が!!」
それは杏にも分からなかった。しかし、イヴィルアイへの怒りが、カナタを守ろうとする気持ちが杏を突き動かしていた。イヴィルアイは完全にその勢いを殺され、地面へと落ちる。杏はその両手を大きく開き、そこに浄化魔法を紡ぎだす。
「カナタちゃんの、カザミさんの痛みを思い知れ!!」
そう叫び、その魔法をイヴィルアイへと放った。
「ぐああああああぁぁぁぁ!!!!!」
断末魔の叫びと共に、イヴィルアイは消滅した。イヴィルアイの魔力が拡散し、大気へと戻っていく…。
その瞬間、杏の身体から一気に力が抜ける。膝が折れ、その場に座り込んだ。また体が震えだした。必死で抑えていた分、今になって一気に襲ってきたのだ。しかし、杏は高位の魔族を見事葬り去った。相手は傷ついていたとはいえ、杏も本調子でないのに圧倒的な勝利を納めた。それは杏の確かな自信となった。敗北と陵辱の記憶はそう簡単に振り切れるものではないが、確かに一歩前進したのだ。
今度こそ、杏の中で確かな決心が生まれた。もう滅多なことで揺らぐことはないだろう。
その日の夜、カザミたちの家。
カナタの傷は深く、カザミの治療では完治しなかった。しかし明日カナタの魔力が多少回復すれば元通りになるだろう。カザミは治療部屋のベッドで横たわるカナタを介抱していた。カザミもまだまだ辛いはず、そう思いカナタは拒んだが、カザミは聞かなかった。思えば、ここのところはいつもカナタがカザミの介抱をしていた。小さい頃、病気になったときにカザミに看病されたことを思い出す。カナタはあの頃のような、心強く頼もしい気持ちに包まれていた。
カザミはカナタの小さく柔らかな手を優しく包む。
「あんたはいっつも難しく考えすぎなんだよ。それに自分を責めすぎなんだ。あたしはいつもあんたに助けられてる。本当に感謝してるんだ。だから、今回みたいな無茶はもうしないで。お願いだから。」
カザミはその手を引き寄せ、優しくその頬に触れさせる。
カナタはその言葉に、その暖かさにまた涙した。
少し離れたベッドで、杏は今日の戦いを思い出していた。あの時、自分を包んだ大きな力。それは自在に出せる気がしなかった。しかし、確かに自分の中には誰かを守ることの出来る力があることを確信した。もう迷わない。葵を探し出し、この手で守ると決めたのだ。
強い決意を胸に、杏は目を閉じた。