意思を持ってまもなく逃亡者となったマロードは知らないことであるが
彼の生まれた国――名前を日本語に直訳すると楽園の国――の歴史について
ここで少し述べておくと、かつては名前とは裏腹の過酷な環境の小国
であった。それが一変したのはある一人の人物の出現による。
その人物カウナスは人間の生命エネルギー――ここでは魔力と呼称する――
とほぼ同じ性質のものを無生物から抽出することに成功したのだ。
才能と技術に左右される人間の魔力に比べ条件をそろえやすい無生物の魔力は
大量生産に最適だった。彼はその卓越した技術力でさまざまな魔導具
を開発し、かつそれを普及させた。どうやら彼は技術者のみならず経営者
としての手腕を有していたようだ。誰でも使える魔導具の普及によって
力をつけた魔力の弱い人々――それまで下層階級であった――の支持と
経済力によって彼はついに国を動かす立場となる。
ある種の産業革命によって他を圧する力をつけたこの国は飛躍的に
発展し文字通りの楽園となったかに思えた。民衆は彼を国父と讃え終身執政官
の地位につけた。
だが若き天才と呼ばれた彼も老いるときが来た。彼の余命が残り少ない
と知った彼の崇拝者――と彼の威を借りて後ろ暗いことをしていた連中――
は恐慌をきたし、ついでとんでもないことを考えた。魔法生物と自動人形
の技術を使い彼に不死の肉体を与えようと考えたのだ。
これにはさすがに内心多くの反対者がいた。あの方は本当に望んでいるのか、
不死の統治者なんて寒気がする、ポストがひとつ減るじゃないか等等。
そんな声なき声を無視して彼の新たな体は着々と作られていった。
アダマントの内骨格オリハルコンの表皮……。ところが彼の新たな肉体
にほぼ無制限の魔力を与える奇跡の石
――あまりに凄いのでこれまで使用されず博物館に展示されていた――
が行方不明になってしまったのだった。
現在奇跡の石無しでも動く為の改良と奇跡の石の捜索が行われている。
「よしっ!書類は完璧だ」
執務室でそう声を漏らした人物は大兵肥満という表現が似合う人物で
名をバムといい、一応将校である。彼は権力に興味は無いが物欲はあった。
宝石のような外観の奇跡の石を捜索するという名目で向こうの宝石を
略奪してしまおうと考え、必要なものを準備する為の書類を製作していたのだ。
書類は無事通過し準備を整えると彼は部下の魔法生物を送り込んだ。
もちろん失敗など考えられない。魔法を基準として物事を考える彼にとって
空間移動の技術を確立していない理利の世界など野蛮な世界なのだ。
彼の考えには略奪した財産で引退後酒池肉林の生活を送ることしかなかった。
――余談だがマロードの生まれた世界にも若い女性の瑞々しい生命力
に溢れた肉体と触れ合うことで長寿を保つという思想が存在する――
さて、部活動を終え帰途に着く理利の耳に怒号と悲鳴が聞こえてきた。
無鉄砲というべきかそんな事態を見過ごせる彼女ではなかったので
自然とそちらに足が動く。そして彼女は宝石店の入り口から袋を担いだ
二足歩行のアリをおもわせる怪物が二匹出て行くのを目撃した。
とりあえず怪物は後回しにして店内に向かうと店員や客と思しき
人が倒れていた。幸いなことに命に別状は無いようだ。
比較的軽症の人物――通報もこの人が既にしたそうだ――
がほかの人に応急処置をするのを手伝っているうちになにやら沸沸と
怪物への怒りがわくのを理利は押さえきれそうに無かった。
(このあいだ死にかけた気もするけどそれでも行くの?)
(ごめん、マロードには迷惑なのはわかってるんだけど……)
(ううん灰色の永遠より虹色の一瞬って言うでしょ理利の好きにしなよ)
(一瞬ってどういう意味よ)
基本的に接続を切らない限り理利の強く思ったことはマロードにも伝わる
友人の危機を目撃した際の焦燥、食事の際の満足感、傷つけられた人を
見ての加害者への怒り、そんなものが文豪の書いた小説に匹敵あるいは
凌ぐほどの臨場感を持って伝わってくるのだ。意識を持って以来理利と
出会うまでずっと孤独だった彼は彼女の感情にすっかり魅了されている。
だから彼はたいていのわがままは聞きとどけてみるつもりなのだ。
人気の無いところへ駆け込むと呼吸を整え精神を集中する。無我夢中で
変身した前回の感覚は良く覚えていないが力の源がマロードである
と知っているので何とかなるはずだ。
(お願いマロード力を貸して)
(任せて!)
体内をエネルギーが駆け巡る感覚とともに
身に纏う衣服が前回と同じく青と白を基調としたものに変わった。
体が軽く火照って意識が恍惚となるがすぐに収まる。
(ところでずいぶん距離が離れたと思うけれど探す当てはあるの)
いわれて当てが無いことに気が付いたがどうしたものだろう。
思案する彼女は何とはなしに奇妙な感覚に気づき、当ても無いので
その感覚に意識を集中しようと目を閉じた。
どうやら自分たちと近い存在が二つ移動しているような気がする
追いかける価値はあるかもしれない。
足に回すエネルギーを増やすと一気に加速。
二足歩行は高速移動には適さない、そんな厳然たる事実を覆す
かのように少女の肉体は躍動する。信じられない物を見たかのように
呆然とする道行く人をはねないように、そして車にぶつからないように
走るのは少々骨が折れたがまもなく先ほど探知した場所に着いた。
そしてもう一度感覚を集中し、位置を探った。
先ほどの二体のほかにもう一つ大きな反応があるがなんなんだろう?
(たぶん転移装置だ。僕がこっちに来たときと似た感覚がある)
二体は転移装置と思しき場所に向かっているようで急げばギリギリで
間に合いそうだ。
そう判断すると少女は再び駆け出した。アリの怪物を視認すると
さらに足を速める。怪物が振り向いた、気づかれたようだ。だが、
追いつくのは時間の問題……。
「キッキキー (訳ここはオレが食い止める。お前は先に行くんだ)」
「キー (訳そっそんな〜)」
怪物の片割れが方向を変え少女に向かって突進する。
そして手に持った宝石の入っているだろう袋を投げつけてきた!
「え?」
それは油断か、それとも貧乏性か少女はそれを反射的に受け止めてしまった。
必然的に生じた隙を見逃さず怪物は猛然と地を這うような低く鋭い
タックルをぶちかました。手のふさがっている少女を見事転倒させると
勢いのまま二転三転する。
理利は声にならないうめき声を漏らすと袋を手放した。完全な失態だ
怪物がもし毒を塗った短剣でも持っていたらすでに勝負は付いている。
剣道にも組打ちは存在するがレスリングなどに比べその練習の
比率は少ない。それでも彼女は力任せに右腕の自由を取り戻すと
右手に短剣を形成させ強引に怪物に突き刺した。
耳をつんざくような絶叫とともに滅茶苦茶に暴れだす怪物に
さらに深く突き刺しえぐるようにねじ込む。怪物の力が徐々に弱まり
ついに動かなくなった。やっと動かなくなった怪物から離れ
よろめきながら身を起こすと気息を整えあたりを探る。
(理利、もう一匹には逃げられちゃったね)
(うん……)
周囲にはもう何者もいなかった。陰鬱な気持ちで理利は変身を
解くと乱れた髪を手櫛で整え袋を手に取った。せめてこれだけでも
返しておかないと。そう考えたのだがここではたと気づいた
どうやって事情を説明しよう?事実をありのまま言うわけにも
いかないだろうと思った。結局、不審な袋をみつけた通行人が
不安に思って警察に通報するという体裁をとることにした。
毒ガスの恐れがあると判断され避難勧告一歩手前の騒ぎになり内心
大いにあせったり、事情聴取で怪物の死体について聞かれ、通りかかった時には
すでに死んでいたの一点張りでごまかしたりで家に帰ったとき
にはかなり遅くなってしまったのだった。