「……とこのようにノルマン朝シチリア王国は当時の先進地域であった
イスラム世界の強い影響を受けており、優れた官僚機構を備えていました」
4時間目の体育での疲労と昼食で膨らんだ胃を抱えて世界史の教師が延々と
垂れ流す雑談を聞くのは苦行に等しい。北条理利も例外ではなくとろんとした目
をして机に突っ伏していた。奇妙な同居人たるマロードとの生活が始まろうと
学校はいつも通り出席する必要があるのだ。
(理利、寝ちゃだめだよ昨日読んでた本にも少年老い易く学成り難しって書いて
あったじゃないか)
(この先生雑談はテストに出さないから大丈夫だよ、
大体私少年じゃなくて少女だし)
口を酸っぱくして忠告をするマロードに辟易した理利は
理屈になってないことを言った。マロード曰く意思の疎通を遮断するには
或る程度精神を集中して何かを切断することを
イメージする――理利は糸電話をイメージしている――のがコツらしいのだが
こうも眠いととても出来そうに無かった。
教師が歴代シチリア王――引きこもりとかマッドなアンチキリストとか――の話
からマフィア映画の話に移った頃話を聞いているものはほとんどいなかった。
例外の一人であるマロードが言うには鉱物である自分は睡眠欲は存在しない
――休眠状態にはなれる――そうで理利が眠っている間は暇をもてあましている
とこぼしていた。理利は自分が眠っている間マロードが彼女の体を勝手に
動かせないことを感謝すべきであるかもしれない。


部活を終えた理利は家路についていた。
(ねえ理利この間不審者が出没するっていって無かった?人気の無い公園を
つっきるのはどうかと思うんだけど)
(週末に友達と出かけるから早めに課題をかたずけたいのよ。土日に部活が
無いなんてめったに無いんだから)
(五分や十分じゃそう変わらないと思うけどなあ)
言葉こそ無いがにぎやかに会話を繰り広げる二人。案外これが原因で
一人で歩いているという意識が薄いのかもしれない。
唐突に少女の歩みが止まり夜道を歩く際のセオリーを無視して物陰に隠れた。
少女の緊張した視線の先には何者かが立っておりそれは夜目にも
明らかなほどに尋常ではなかった。直立こそしているものの、
全体のシルエットはむしろ節足動物のものだこの世のものとも思えない。
(ねえマロードアレって)
(うん、おそらく僕のいた世界のものだ気付かれない内に早く離れよう)
少女に異存のあろうはずも無くそろそろと離れようとする、
だがその動きが再び止まった。位置を変えたことで、何者かに遮られ
死角になっていた場所に自分と同じ年頃の少女が
へたり込んでいたのが見えたのだ。
(理利!何してるんだ早く!)
叱咤を受けてわれに返った。そうだ、急いで離れて携帯で警察を呼ぶなり
近所の人に大声で助けを求めるなりすれば少女を助けられる……かもしれない。
だがいかなる偶然か運命のいたずらか次の瞬間理利は気づいた
、気づいてしまったのだ。その少女が彼女の友人であることに。
もう何も考えることなどできはしなかった。


いたい、イタイ、痛い、理利は激痛で意識を取り戻した。口の中を切ったのか
血の味がじわじわと広がっていく打ち身や擦り傷があちこちにある。
そんな中で彼女は自分の身に何が起こったのかおぼろげながら思い出した。
友人の危機に逆上した彼女は通学鞄――辞書が二冊入っている――
を投げつけて注意を引き付けたあと友人から引き離そうとした
が逃げ切れずに殴り飛ばされたのだ。
(理利立ち上がって!早く逃げるんだ!)
マロードの声に立ち上がろうとするが何者か――蟷螂のような顔だ――
は目前に迫っている。気を失っている間に止めを刺されなかったのが
不思議なぐらいだ。痛みで体が思うように動かないもしかしたら骨が
折れているのだろうか?とても逃げ切れそうに無い。
このままでは殺される!死ぬ?死んでしまう!
「そんなの嫌!」
絶望に包まれる彼女の目の前でいわゆる走馬灯なのだろうか、不思議な光景
が流れていく。周囲が巨大な奔流の渦になりその中心にたたずむ
彼女の目の前には不思議なとても暖かい何かがある。
溺れる者は藁をもつかむという、彼女はその何かに手を伸ばした。
何かに指先が触れると周囲が光に包まれ徐々に全身から痛みが引いていった。
光が収まると彼女はもといたところに立っていた。火照った体に触れる夜
気が心地よく、熱に浮かされたようにぼんやりした意識が元に戻り、
思考能力が回復すると彼女は己の服装が一変していることに気が付いた。
青と白を基調にした服と靴を身に纏い、肘の下まで覆う白い籠手と
膝を守るプロテクターのようなものを装着している。
彼女の戸惑いを打ち切ったのはやはりマロードの声だった。
(理利やつが来る!)
その声に反応して後方に跳躍する体が軽い、まるで羽毛のようだ一息に
数メートルを移動し着地の際体の勝手の違いにたたらを踏んだ。


(信じられない……装置も無しに僕からエネルギーを抽出するなんて)
マロードの呟きからして今の力の源は彼のなかに眠るエネルギーのようだ。
五感とは異なる何かが自身の肉体の中を莫大なエネルギーが
駆け巡っているのをおぼろげながら知らせ彼女は蟷螂顔を見据えた
今ならやつを倒せる気がする。しかし、素手では不安だ武器が欲しい
それも扱いの比較的楽な打撃武器か、もしくは初歩とはいえ心得の有る剣が。
その意思に反応してか右手が灼熱する、理利は直感的に剣をイメージし、
それに反応して剣の形をしたエネルギーが右手に形成された。
「はぁ!」
必殺の突きを繰り出す小学生では禁止される技なだけはあって一撃で胴を穿った。
だが蟷螂顔はそれにかまわず右手を振るう、少女が武器に執着せずに
腕を使ってブロックしたのは賞賛に値するだろう。さっきまでなら腕をへし折られて
吹き飛ばされる打撃だったが飛躍的に強化された肉体は僅かな後退で凌ぎきった。
少女の手から離れた剣が虚空に霧散して消える、その直後の光景に彼女は目を
疑った。
「傷が、消える?」
(さっき君もやったじゃないか)
マロードの茶々に気を取り直した彼女は再び剣を形成すると今度は
足の関節を切り落とした。点の一撃がだめなら線の一撃を加えようというのだ。
目論見通り今度の再生には少々時間がかかるようだ、そして彼女は
あることに気が付いた。今までは自身の莫大なエネルギーに隠れ
蟷螂顔のエネルギーの流れに気が付かなかったのだが、
蟷螂顔に二箇所エネルギーが集中してる場所がありそれは傷口と
人間で言う鳩尾の部分であった。
(多分そこが動力源だ傷の修復の為に出力を上げたんだろう)
彼女の思考に反応して助言をするマロード。蟷螂顔は足の修復が終わっておらず
身動きが取れないようだ。やるなら今しかない!
少女の剣が蟷螂顔の動力源を貫き動きを停止させるとほど無く蟷螂顔の動き
も止まった。理利は危地を脱したのだ。
(ふう、じゃあ帰りましょうか)
(えー普通はここで変身解除するとかしてから帰るでしょう)
(あのね、私はこの格好を見られてコスプレ娘と思われるリスクと変身解いたら
なぜか全裸でストリーキングを敢行するはめになるリスクとでは
前者を選ぶ人間なの)
(エネルギー供給するの僕なんだけど……)
こうして二人は家路に着いた。携帯で友人の無事を確認したことと、
自室で変身を解いたらちゃんと制服を着ていたことを追記しておく。