「……それで、その女の人は何て言ってたの?」
「え〜っと……れい……れい……」

そう涼人が聞くと、渚緒の友人の少女は必死に女性に言われた言葉を思い出そうと首を傾げる。
なかなか思い出せないその少女に、涼人はそれでも何か閃く物を感じて、口を開いた。

「……『レインボーキャット』?」
「あ、うん、それー! えっとね、だれだかしってるんだってー!」

そう涼人が言うと、その少女はこくんと頷いて、そう続ける。
その、まだ渚緒が攫われた事にも、事の重大性にも気付いていない少女の言葉に、涼人は思わず顔を顰めた。

「……」
「なおちゃんのおとーさん、どーしたの?」

そのまま黙り込む涼人に、渚緒の友人の少女はきょとん、と首を傾げてそう聞く。
そんなその少女を見て、涼人は慌てて顰めていた顔を元に戻すと、ぎこちなく笑いかけた。

「ありがとうね、もう、いいよ」
「うん!」

そう言って涼人がその少女の頭を撫でると、その少女はえへへ、とはにかむように笑う。
そんな少女を母親に引き渡して涼人が距離を取ると、横で話を聞いていたマリアンヌが真剣な表情で涼人に囁いた。

「りょーと、『レインボーキャット』って……」
「うん、5年前、僕が日本に行った時に受け持った事件だよ」
「やっぱり? ……うひゃっ!?」

そう言ったマリアンヌに、涼人は何処かさばさばとしたような表情でそう答える。
そして、いきなり右拳を壁に打ち付けた。拳が鼻先を掠めたマリアンヌは思わず悲鳴を上げるが、涼人はそれを全く気にしないで。

「……宣戦布告って訳ですか……? ……上等です。今度は、完膚無きまでに叩き潰す……!」

そのまま涼人は、搾り出すようにそう呟く。
もう涼人には、誰が渚緒を誘拐したのか、少なくとも指図したのが誰か、はっきりと分かっていたから。

「高橋天山、高橋文音ぇ……!」

すると、急に涼人の携帯が鳴り出し、涼人はそれを手に取る。
電話をかけて来たのは、次に電話をかけようと思っていた相手で。

『涼人! 大変だ!』
「大山のおじさん! ちょうど良かった、今すぐやって欲しい事が……大変?」

大山の言葉を大して深く聞く事も無く涼人はそう畳み込むように言うが、大山の言葉を理解した瞬間、思わず聞き返す。
そして、大山が言った言葉は、涼人が思いもしなかった言葉だった。

『さっき高橋天山からここに電話が入った!』
「な……何ですって!?」

その大山の言葉に、涼人は心底驚いて叫び返す。
すると、大山はさらに涼人が驚くような言葉を続けた。

『電話の内容なんだが……、『レインボーキャット』の親友を犯していると、そう、言っていた』
「〜っ!」

そう大山から言われて、涼人は喉元までせり上がって来た悲鳴を必死に押し殺す。
その『レインボーキャット』の親友が誰を指しているのか、はっきりと分かったから。

「……5年前の勘違いからして、恐らくは一美さん……でしょうね」
『だろうな。……佐倉家に連絡を入れてみたが、連絡が取れないそうだ』

何とか5年前に高橋が口走った言葉を利用して一美を襲っていると解釈したように見せかけた涼人に、大山は頷く。
そして、ふと声を潜めると、涼人に聞いた。

『他の警官達にはそう伝えている。……やはり、里緒ちゃん、なんだな?』
「……ええ」

そう大山に聞かれ、涼人はもはや隠し通せないと悟り、これまた小声でそう答える。
その涼人の答えを聞き、大山は電話越しにも分かる程悲痛そうな声色で、口を開いた。

『やはり、か……。俺は、彼女をそう憎めないよ。彼女は、多分俺がいなかったお前、だろうからな』
「……僕も、そう思っています」

そう大山に言われて、涼人はそう答えた。
もし自分に警官になると言う道を示してくれた大山がいなければ、自分が『レインボーキャット』になっていただろうから……。

「……行きますよ、シャルル君、マリアンヌさん」
「え、あ、はい!」
「りょーと、待ってよー」

電話を切ると、涼人はそう言って歩き出し、それをシャルルとマリアンヌは慌てて追いかける。
すると、涼人が突然、誰に言うともなしに呟いた。

「……ふざけるな……、絶対に許さない、何があっても……骨の髄まで……後悔……」
「……け、警視?」
「シャルルん、だめ!」
「うわっ!?」

そう、上手くは聞き取れないが、明らかに不穏な言葉を口走る涼人。
そんな涼人にシャルルが驚いたように声をかけるが、マリアンヌがそんなシャルルを慌てて止めた。

「何するんですか、マリアンヌ先輩!」
「今のりょーとに話しかけちゃだめ! ……戻っちゃってる!」
「……は?」

止めた際に思い切りマリアンヌに飛び付かれる形になり、シャルルはマリアンヌに盛大に文句を言う。
しかし、返って来たマリアンヌの答えに、シャルルは思わず首を傾げた。

「……戻ってるって……何がですか?」
「だから、昔のりょーとに!」

思わずそう聞き返すシャルルに、マリアンヌはもう一度そう叫ぶ。
その言葉を聞いて、シャルルは以前聞いた昔の涼人の話を思い出し、思わず息を呑んだ。

「……え、えっと……」
「黙っておいた方がいいと思うけどなー、シャルルんは」

そのまま、何を言っていいのか分からない、と言った風情で口を開くシャルルに釘を刺して、マリアンヌは涼人に向き直る。
そしてそのまま、マリアンヌはじゃれ付くように涼人にしなだれかかった。

「……何、するんですか」
「奥さんに会うまで、とりあえずあたしで落ち着いて貰おっかなーって思って♪」

急にマリアンヌにしなだれかかれ、涼人は半眼になりながらそう言う。
そんな涼人に、マリアンヌは心の底からの本心でそう返した。

「……そ……んな……。一美が……?」
『うん。大山のおじさんが悪ふざけでそんな事言う訳無いから、まず間違い無いと思う』

涼人の言葉を聞いて、里緒は続く周りの人間が巻き込まれる事件に、思わず真っ青になる。
そんな里緒にいくつか付け加えるように涼人は言って、さらに続けた。

『……里緒。僕は日本に行こうと思ってるんだ。まず間違い無く向こうの本拠地は日本だろうから』
「私も行きたいけど……渚緒が……」

そう言った涼人に、里緒は親友と愛娘を心配する気持ちの板挟みになる。
そんな里緒を安心させるように、決心させるように、涼人は自分の推理を述べた。

『託児所から渚緒が誘拐された時、保育士さん達12人、全員眠らされてた。
そのせいで通報は事件発生から4時間も経ってからだった・
……僕ならとっくに高飛びして、合流してるよ。実際、可能でもあるしね』
「うん……涼人の事、信じるよ」

託児所と空港の位置関係、そして発着便の時間関係から、涼人は必ず文音が日本に逃げたと確信していて。
自信に満ちた声でそう言われて、里緒は涼人の言葉を信じると、1つこくり、と頷いた。

『それに、もしまだヨーロッパに残っていたとしても、手は、あるからね。心配しなくていいよ』
「……分かった。私は、信じるね。涼人が渚緒を助け出してくれる事を……」

そんな里緒をさらに励ますように涼人がそう続けると、里緒はようやく微かな笑みを浮かべてそう答える。
電話越しにその声色に気付いたのか、涼人はほっと安心したような溜息を吐いた。

『……マリアンヌさんの言った通りだよ。里緒と話してると、凍りついた心が溶けて行く……』
「……ふぇ?」

そして、溜息と同時にふと漏らすように呟いた涼人の言葉に、思わず里緒は首を傾げる。
すると、まさか聞こえるとは思っていなかったのか、電話越しに涼人が慌て出した。

『え、あ、今のは、その……、そ、それじゃあ、切りますね!』
「あ……ふふっ♪」

そのまま大慌てで電話を切る涼人に、里緒は思わず笑みを浮かべる。
しかし、涼人も里緒も、気付いていて故意に無視している可能性があった。
……それは、もう渚緒がこの世にはいないかもしれないと言う可能性だった……。

「……うん、分かった。そう言う事なら俺達も協力出来るよ。任せておいてくれ」
『すみません……。……では、後はお任せしてもよろしいでしょうか?』
「ああ、もし奴らがまだヨーロッパに残っていたら、必ず捕らえてみせるよ」
『……ありがとうございます。では、これで……』

涼人からの電話を切ると、レイザル王国警視総監瞬・レイザルはふ、と溜息を吐く。
すると、急に総監室のドアが開き、そこから女性がひょこっ、と顔を出した。

「瞬! こちらにいらっしゃいましたのね!」
「セシリア!? 駄目じゃないか、安静にしてなくちゃ! ……フルシアさんも止めてくださいよ!」
「……女王が、止めて聞くようなお方とでも?」

顔を出したレイザル王国女王セシリア・レイザルに、瞬は大慌てで立ち上がり、ソファへとエスコートする。
そのまま瞬は傍に付き従っているフルシア・ハーディクトにそう怒鳴り付ける。
しかし、表情1つ変えずにそうフルシアに返され、瞬はさらに怒鳴った。

「それでも止めてください! お腹の子に障ったらどうするんですか!」
「……それは少々過保護だと思いますが」

……そう、今セシリアは妊娠8ヶ月。そのセシリアを気遣って、瞬はそう言う。
しかし、その瞬の気遣いぶりに、フルシアは呆れ果てていた。

「過保護って、それを言うならフルシアさんは……」
「フルシアも瞬も、喧嘩はおよしになって、ね?」

そのまま口論になりかける瞬とフルシアを、セシリアは慌てて制止する。
瞬もフルシアもセシリアの事を大事に思っている事は確かだ。
ただ、瞬はセシリアをの事を溺愛し、フルシアは必要以上には干渉しないようにしているだけで。

「何でフルシアさんがそこまで放任主義なのか分からないよ!」
「……私にとってはあなたがどうしてそこまで女王を束縛するのかが理解出来ません」

……そんな2人が、セシリア絡みのことでこうなるのは、もはや日常茶飯事と言えた。
そんな2人を見て、セシリアが思わず溜息を吐くと。

「……あら?」

急に、総監室のドアがノックされた。

「……はい、どちらさまですか?」

その音と同時に瞬とフルシアはぴたり、と口論を止める。
そして風のようにフルシアはドアへ、瞬はセシリアを庇う位置に立つ。

「あ、フェイルノートです。総監への小包が来ていたので、お届けに」
「ああ、フェイルか。俺への? 分かった、ありがとう」

そのままフルシアがドアを開けると、そこに立っていたのは瞬の秘書、フェイルノート・クヴァイルで。
フェイルは一瞬だけ驚いたような表情を浮かべるが、すぐに気を取り直すと、手にしていた小包を瞬に渡す。
そして、ぺこり、と頭を下げると、総監室から出て行きかけて、

「……ぁ……」
「?」

急にフルシアが声を漏らし、フェイルは一度振り向いてフルシアを見つめる。
しかし何も言わないフルシアに首を傾げると、今度こそ総監室を出て行った。

「……フルシア、どうかしたの〜?」
「まあ、フェイルも童顔だけど美形の方には入るし、そう言う事なのか?」
「だ、黙っていてください!」

そんなフルシアに、瞬とセシリアはにやにやと笑いながら視線を送る。
そんな2人の視線に、赤くなりながら思わずフルシアが顔をそむけると。

「まぁ、この話はとりあえず後回しにして、セシリアに確認取りたい事が……っ!?」

それよりも優先順位が高い用件を思い出して、瞬は何となく小包を開けながらそう言い……、

「伏せろーっ!」

そう叫ぶなり瞬は小包を思い切り窓に叩き付け、セシリアを押し倒す。
小包が窓を突き破って外に飛び出し、フルシアも2人の上に覆い被さり……、
閃光が、総監室を埋め尽くした。