「通り魔…?」
「そう、また出たのよ! 一昨日の夕方に二人、夜に三人被害にあった人がでたんですって!」

友人の興奮した説明にひきつった笑みを浮かべる。
新聞を片手にわめきたてる目の前の少女から聞かされるまでもなく、美音は既にその事件について知っていた。
というか、夜の事件では被害者の仲間入りをするところだった。

「ここ二週間でもう十件をこえてるのよ。なのに犯人が捕まる様子はないし……」

恐くてオチオチ一人で歩けないわ。
そうぶるっと震えながら呟く友人に美音は曖昧に相槌を打つ。
実際のところ、自分は一人で歩いた挙句に犯人と直接遭遇したのだが、とてもそんなことはいえなかった。

「男の人は燃やされて、女の人は裸にされて暴行……酷い犯人よね」
「そう、だね」

憤懣やるかたないといった表情でぷんすか怒る友人に頷く美音。
一昨日、犯人である火傷の男が立ち去った後、美音は救急車を呼んでその場を立ち去っていた。
勿論、警察に被害届けなど出していないし、情報も渡していない。
一市民としていけないのはわかってはいたが、気になることがあったので仕方がなかったのだ。
男の持っていたエレメントジュエル『フレイヤ』らしき宝石の存在。
あれがもし本物であるならば、男を迂闊に警察と接触させるのは危険だ。
エレメントジュエルはそれぞれ特殊な能力を持ち主に与える。
例えば、風のウインドルは風を自在に操ることを可能にするし、水のアクアルは所有者の身体を変質させていた。
男が持っていたと思われるエレメントジュエルは火のフレイヤ。
名前と先日の事件を考えて、能力は火関係であることは間違いない。
ただでさえ火という殺傷能力の高い能力相手に、下手に普通の人間が集まっても意味はない。
無論、あのフレイヤは偽者で、先日の光景はなんらかのトリックである可能性も残ってはいるが…
美音はその可能性は低いと、つまりあのフレイヤは本物であると踏んでいた。
何故なら――

(エレメントジュエルが全部、盗まれていたなんて……!)

昨日、エレメントジュエルを(勿論それとはわからないように)預けていた銀行を訪ねた美音は愕然とした。
シティでも有数の堅固なセキュリティに守られているはずの保管庫から、忽然とエレメントジュエルが盗まれていたのだから。

(一体、誰が、何の目的で?)

エレメントジュエルを預けていた銀行では、ここ半年盗難事件など起きていない。
勿論、被害届けを出せば事件にされただろうが、盗まれた物が物だけに被害を訴えるわけにもいかなかった。

(……状況は、かなり深刻ね)

ざっと考えただけでもいくつもの疑問があった。
犯人はどうやってセキュリティを銀行側にばれずに掻い潜ったのか?
エレメントジュエルを盗んだのは何故か? 偶然か、それとも狙いすました犯行なのか?
盗んだ後の犯人の目的は?
火傷の男が持っていたフレイヤは本物か? だとすればどうやって手に入れたのか?
一つ目の疑問は美音の元怪盗としてのプライドを刺激していた。
怪盗アクアメロディとして考えても、誰にもばれずにセキュリティを掻い潜る方法を思いつくことが出来なかったのだ。
二つ目と三つ目に関してはほぼ間違いなくエレメントジュエルを狙った犯行と考えていいだろう。
他にも金目の物は保管されていたのだし、銀行なのだから現金もうなるほどあったはず。
にも関わらずエレメントジュエルだけ(他の客の貴重品や現金が盗まれていれば事件になっているはず)盗んだということは
それはつまり、犯人の狙いは最初からエレメントジュエルにだけあったと見ていい。
だが、この場合別の疑問が浮かんでくる。
何故そこにエレメントジュエルが保管されていると犯人は知っていたのかという疑問だ。
言うまでもなく、対外的にエレメントジュエルを持っているとされているのは怪盗アクアメロディである。
だが、その正体を知っているのは本人以外では二人――塔亜兄弟しか存在しない。
しかしその二人も今は監獄の中にいる。
そうなると、彼らとは別にアクアメロディの正体を知っている人間がいるということになる。
そして、そう考えるとその人間は当然エレメントジュエルの力を知っているはず。

(確証はないけれど、何か嫌な予感がする……!)

今までの考えはあくまで推論であり、確証ではない。
しかし状況を判断するにこの考えが一番可能性としては高いのは疑いようのない事実だった。

(とにかく、一昨日の男。火野溶平が唯一の手がかり、か)

火野溶平。
前科持ちの元犯罪者―――放火魔で、一ヶ月ほど前に出所している男だ。
犯罪者のリストを当たったところ、あっさりとヒットしたこの人物は経歴といい人相といい一昨日の男と同一人物であることは間違いない。
今はとある有名ホテルに宿泊していることが判明している。
怪盗アクアメロディ及び水無月美音との関係は過去現在においてまるで存在しない。
それ故、エレメントジュエルの盗みに関わっているかは現時点では不明。

(とはいえ、急がないと。警察もマークしてるみたいだし……それに、これ以上の犠牲者を出すわけにも…っ)

警察とて馬鹿ではない、当然放火の前科持ちである火野はマークされていた。
とはいえ、彼が通り魔事件の犯人だと確定されていないのは逮捕されていないことを見れば明らか。
しかし、悠長にはしていられない。

いくら超常能力を使った犯行とはいえ、彼が犯人である以上はいつ容疑が確定してもおかしくはない。
そうなれば、エレメントジュエルの盗難事件は謎のままになってしまうし、何も知らない警察にも被害が出るだろう。

(そんなこと……認めるにはいかない!)

唇を噛み締め、美音は決断した。
一連の事件を解決するためには、あの存在を今一度復活させるしかない。
そう、エレメントジュエルを狩る怪盗―――アクアメロディの存在を。

(すぐに、ううん。今夜にでも……)
「やあ、水無月さん。おはよう」

しばらく使っていなかった怪盗としての思考が美音の中で動き出す。
だが、それを遮るように少女に向けて挨拶の声がかけられた。
反射的に美音は声の主へ警戒の視線を向ける。
だがそこにいたのは、先日自分に告白してきた少年、二宮輝だった。

「にっ、二宮君!? お、おはよう……」

思わず上擦った声を上げてしまう。
それはそうだろう、つい最近振ったばかりの男の子が躊躇なく挨拶をしてきて動揺しないはずがない。
しかしそんな美音の動揺を他所に、小柄な少年は申し訳なさそうな表情を浮かべると、勢いよく頭を下げた。

「この前はゴメン! 水無月さんの気持ちも考えずに好き勝手に喋っちゃって……」
「え、いや、その…」
「え、なになに? なんのこと?」

突然の謝罪にしどろもどろになってしまう。
友人の少女は意味深な会話に興味津々の様子だ。
だが、説明するわけにもいかず、美音はどうしたものかと困惑する。
しかし二宮は余程申し訳ないと思っているのか、自分が美音に告白して振られたということをあっさりと口に出した。

「ええ!? 二宮君が、美音に!? ま、マジ!?」
「う、うん……」

当事者の片方が喋ってしまった以上、美音は肯定する以外の選択肢を持たない。
友人は「はぁー」と感心したような、呆れたような声音で溜息をつき、美音へと向き直る。

「……いや、あんたがOKだすとは思ってないけどさ。二宮君よ二宮君! 勿体無いなぁ〜」

二宮に聞こえないよう、耳に囁く友人の言葉に美音は苦笑するしかない。

二宮輝は背が低いこととやや童顔であることを考えると、ややマイナス補正が入る外見ではあるが女性人気は高い男子である。
勉強は出来るし、運動神経も悪くない。
噂レベルではあるが、格闘技も嗜んでいるらしく、絡んできた学校の不良を一人でのしたという話もある。
何よりも、彼は実家が金持ちだった。
いくつもの銀行やホテル、デパートを経営する財閥の跡取り息子である彼は客観的に見ればこれ以上ない玉の輿候補。
普通の女の子であれば、彼に告白されて断るという選択はまずしないだろう。
とはいえ、そのありえない選択肢を選んでしまったのが美音なのだが。

「本当にごめん! あの時は気が動転しちゃってて……」
「あ、ううん、いいの。私も、その言い方が悪かったと思うから……」

こうまで真摯に謝られるとむしろ自分のほうが悪い気分になってくる。
周囲の注目を集め始めたことを感じた美音は冷や汗をかきながらもなんとか許しの言葉を口に出す。
確かに先日の二宮の態度は問題があったが、過ぎたことをぐだぐだ言うほど美音は心の狭い人間ではない。
関係が修復できるのならばそれにこしたことはないのだから。

「水無月さん、ありがとう……あれ、その新聞……今日の?」
「あ、二宮君も見たんだ。例の通り魔事件」
「うん、凶悪な事件だからね。印象に残ってたんだ」

謝罪を終えた二宮が友人の持っていた新聞の紙面に興味を示す。
同じ街に住むものとして、関心を持っているのであろう。
少年は友人と同じく事件への怒りと恐怖を表情に浮かべていた。

(そういえば……)

はた、と思い出す。
エレメントジュエルが保管されていた銀行、そして今火野が宿泊しているホテルは両方とも二宮財閥の傘下。
あるいは、二宮ならば詳しい情報を持っているのではないか。
そう思いかけた美音は、しかしすぐさま頭を振ってその考えを打ち消した。
聞いて答えてもらえるような軽々しい問題ではないし、そもそも自分がそんなことを聞くのは不審すぎる。
しかも先日振ったばかり相手だ、図々しいにも程がある。

(そう、人に頼っちゃダメ。これは私が―――アクアメロディが解決しないといけないことなんだから)

事件について盛り上がる二人を見つめながら、美音は一人心の中で威勢を上げる。
半年のブランク、エレメントジュエルの能力を引き出した男、タイムリミットの接近。
様々な問題が目の前に立ちはだかっている。
だが、美音はそれでも臆することはなかった。
シティの平和のため、亡くなった母親のため、そして今までの苦労を無駄にしないため。
怪盗少女は人知れず復活の狼煙を上げる。

―――それが意図的に導かれた結果だとは露とも知らずに。

世界に夜が訪れる。
月明かりがカーテンの間から僅かに差し込む中、自分の部屋の中央で美音は佇んでいた。
身に纏っているのは純白の下着のみという少女の半裸姿が、月光に照らされてうっすらと輝いているように見える。
肌の白さも相まって、まるで月の女神がそこに立っているようだ。
少女は下着姿のまま、ゆっくりと視線を真下へと降ろす。
カーペットの下に隠されていた床には、一つの扉。
美音は手に持っていた鍵でその扉を開く。
ギィ…と小さく軋むような音と共に扉の奥が明らかになった。
そこにしまわれていたのはアクアメロディの衣装。
仮面を初めとした、もう一人の自分になるための全てがそこにはあった。

「もう二度とこれを着ることはないと思っていたのに…」

衣装を真っ直ぐ見つめ、深く長く深呼吸をする。
手に取った衣装は半年前のまま出迎えてくれた。
あとは、着るだけ。
深青色を基調にした上着とスカートを身につける。
この半年でサイズがあわなくなってはいないか、と少し不安になっていたが、特に問題はないようだ。
サイズアップのせいで少しだけ胸が圧迫される感があるが、動きに支障が出るほどではない。
ウエストも運動を続けていたおかげできつさは覚えなかった。
続いて肘まである手袋を腕に装着し、軽く二、三度手を握ってみる。
そして、黒のニーソックスを足に通し、同じく黒のブーツを履く。
ストレートロングの黒髪を大き目のリボンで一纏めにし、ポニーテールを作る。
幾つかの小道具や武器を身につけ、最後に手に取ったのは顔の上半分を覆い隠す仮面。

「……うん!」

気合を入れるようにぎゅっと拳を握り、仮面を巻きつけるように顔に貼り付ける。
最後に、後頭部で布部分を固く結び鏡の前へと立つ。
そこに映るのは水無月美音ではない。
半年前までシティを騒がしていた女怪盗アクアメロディの姿がそこにはある。

「警察に介入されるわけには行かないから、予告状はなし。半年ぶりのアクアメロディ復活にしては華はないけど……」

これから行うのは犯罪者が相手とはいえ、あくまで盗みという犯罪だ。
罪悪感はある、気後れもある。
傷つくことへの恐怖も、敗北への不安もあった。
だが、これは自分が決めたことだった。
昔からずっと、そしてこれからもずっと自分が抱えていく誓い―――エレメントジュエルを悪用させないという想いを抱き
美音は、怪盗アクアメロディは再び動き出した。