ゾクリ!
背筋を大きく震わせる唐突な悪寒に金髪の少女は身を跳ねさせた。
すぐさま両手が肩にまわされ、寒さに震える手が華奢な身体を抱きしめる。

「いかがなさいましたか、お嬢様?」
「う、ううん大丈夫。ちょっと寒気がしただけです…」
「しかしお嬢様。心臓の動悸や脈拍が一定値を大きく超えています。手足には痙攣も見られ…」

平坦ながらも、心配気な運転手の声を手で遮りながらレナは車から降りた。
足が地面を踏みしめると震えは治まり、脈拍も徐々に一定値に戻っていく。

「ほら、ね?」
「お嬢様…」
「大丈夫。少し夜風が厳しかっただけだと思いますから」

気丈に微笑む少女の表情はまだ僅かに強張っている。
一瞬感じた悪寒は只事ではなかった。
まるで肉食獣に捕捉されたかのような、身の危険の予感。
だが、周囲には人の気配もなく、危険な雰囲気もない。
セキュリティにも反応はなく、場は安全そのものだ。
ただの気のせい。
とは思い難いが、疲れが出ただけだろうとレナは自分を無理に納得させた。

「アルテ、そんなに心配そうな顔をしないで下さい」

にっこりと微笑む令嬢の姿にようやく安堵を得たのか、アルテと呼ばれた運転手はレナの前を先導するように歩き出した。
アルテ・新堂。
見た目は二十代前半といったところだろうか。
まるで無駄のない歩行で周囲を警戒しながら歩くそのメイド服の女性は実は人間ではない。
彼女はルナの父親によって生み出されたアンドロイド型端末だった。
世界でも有数の超ハイスペックコンピューター『アルテミス』。
その開発に携わったルナの父親は、開発当時まだ幼かったルナのためにアルテミスの端末という形でアルテを生み出した。
ある意味とんでもない父親からのプレゼントに当時のルナは大変喜んだ。
父親、そして新堂グループ総帥であった母親はその多忙さ故に自分に構ってくれる時間が少なかったので姉のような存在の出現が嬉しかったのだ。

「今日はもうフリーなのですよね?」
「はい。お風呂とお食事、どちらを先にいたしましょう?」
「そうですね、さっきのパーティーじゃあロクに食べられなかったから、食事を先にしましょう」
「かしこまりました」

機械的なボイスの中にも、優しさがにじんでいるようでルナは嬉しくなる。
アルテは少女の中では姉であり、母でもあり、親友でもある存在で、そして最後の家族なのだ。

ルナの両親は今現在この世に存在しない。
約一年前、二人とも他界してしまったからだ。
ルナは悲しんだ、何故両親が死ななければならなかったのかと。
忙しさにかまけて自分にあまり構ってくれない両親だったが、それでも大好きな二人だったのにと。
新堂夫妻の死因は事故死だった。
結婚記念日ということで夫婦水入らずでデートしようとレストランに向かっている最中に車の衝突事故に巻き込まれたのだ。
だが、真実はもう少しこの事故に話題性のある彩を添えていた。
衝突事故に巻き込まれたのは、ある犯罪組織のテロが原因だったのである。
この理不尽としか言いようがない両親の死の原因はルナに悲しみと怒りを覚えさせた。
両親を巻き込んだ犯罪組織、役に立たない警察。
そして何よりも何もできなかった自分。
その全てに新堂ルナは悲しみ、怒ったのだ。

(全ては、あの時から始まった…)

それからのルナの行動は積極的にして素早かった。
総帥の座を引き継ぎ、新堂グループを掌握。
そして部下を適材適所に散らし、総帥交代の混乱に騒ぐグループを瞬く間に沈静化。
なんと見事な手腕と他の有力者から感心されたかと思えば、次の日には自身を飾り物としての立場にと貶めてしまったのだ。
必要最低限の範囲でしか新堂グループの運営には関わらない。
そう宣言したルナに周囲は当然反対と惜しむ声を上げた。
だが、ルナの意志は固く、結局は彼女の意見が通る形で決着がついてしまったのだ。

(引き止めてくださった方々には悪いことをしてしまったけれど…)

自由な時間を作り出したルナは早速自分の望みのためにと力を振るった。
元々学校に通っていなかったルナには多くの時間があり、それでいて莫大な資金と知識が存在しているのだからできないことのほうが少ない。
彼女はそれらをフルに使い、理不尽な悪を打ち倒す力を求めた。
そして半年後、ルナはついに世に送り出した。
悪と戦えるだけの力を、怪盗トライアングルムーンという存在を。

「お嬢様、満井様と半兎様がいらっしゃいました」
「お二人が…? わかりました、いつもの所に通してください。私もすぐに行きます」

自室で物思いにふけっていたルナはアルテの来訪者を告げる声に返事をした。
準備していた風呂道具をしまうと、令嬢の足は部屋の一角にある本棚へと向かう。

「アクセス。トライアングルムーン」
『声紋承認。ゲートオープンします』

ごうん…!
本棚が横にずれ、その後ろから人一人が通れるくらいの通路が現れた。

「ルナさん、こんばんわー」
「邪魔している」
「こんばんわ。サキさん、カグヤさん」

隠し通路を使い、新堂邸外れの地下施設に足を運んだルナを出迎えたのは二人の少女だった。
一人はショートパンツにラフな上着と一見男の子のように見える元気そうな少女、半兎サキ。
もう一人は男物の長ズボンに黒基調の上着と男装の麗人を地で行く怜悧な少女、満井カグヤ。

「どうなさったのですか、こんな時間に?」
「いやー、今日はルナさんってミリオンライトでパーティーだったんでしょ? 話が聞きたくって」
「私は次の仕事について打ち合わせをしたくてな」
「よく、お二人のご両親がこんな時間に外出を許可しましたね…」
「ボクんちはまあ放任主義っていうか舞台にさえ出てれば文句でないし」
「私の所は友人の家に行くと言ったら目を丸くして送り出された。土産までもたされるところだった」

ニシシと笑うサキと憮然とした表情のカグヤにルナは微笑む。
目の前にいる二人はルナにとっては数少ない同年代の友人だった。
それだけではない、アルテを含めた彼女たちとはある秘密を共有している。
他の誰にも明かしていない、明かせない大きな秘密。
それは怪盗トライアングルムーンという怪盗チームの存在だった。

「大してお構いもできませんが、とりあえずお菓子でも用意しますね」

アルテにお茶の用意を頼みつつ、ルナは二人との馴れ初めを思い出す。
半年前、怪盗という形で悪と戦い、復讐することを誓ったルナだったが大きな問題が彼女の前には横たわっていた。
それは戦力の不足というどうしようもない事実だった。
目的の性質上、迂闊に人材勧誘はできず、当時唯一の共犯者であったアルテは戦闘用には作られていない。
離れた場所からの情報サポートが精々である。
かといってルナ一人ではどうしても活動に不安が残る。
いきなりの挫折に、どうしたものかと悩んでいた令嬢の前に現れたのがカグヤとサキの二人だった。

カグヤはたまたまルナがお忍びで一人街を出歩いていた時に出会った名門女子校の生徒であった。
剣術道場の一人娘だという彼女は男勝りの剣の使い手で、その腕前は生半可なものではない。
その出会いはルナが運悪く性質の悪いナンパ男に引っかかって困っていたのを助けてもらったのが切欠というものだった。
元々正義感が強い性格なのか、彼女はすぐにルナの協力要請に首を縦に揺らした。
これによって最大の不安要素だった戦闘力面での問題が解消される。

サキはカグヤ加入により成立した怪盗初仕事でブッキングした単独の怪盗少女だった。
サーカスの花形スターだという彼女はその身の軽さと正確無比な投擲術を誇っている。
その初対面は先に目的地に侵入していたサキと鉢合わせ、突然の事態に戸惑っているうちに警備に発見されるという危機状況だった。
一時的に協力した三人は急造とは思えないチームワークで包囲網を突破した。
それから、ルナとカグヤのことを気に入ったらしいサキはチームに強引に加入し、トライアングルムーンが結成されたのだ。

「うわ、美味しい!」
「これは手が止まらなくなるな…」
「ふふ、まだおかわりはありますからどんどん食べてくださいね」

怪盗という大それた活動をこなしている三人も普段は年頃の女の子である。
美味しいお菓子に紅茶という魔力には逆らえず、なごみ空間がいつの間にか作られていた。
なお、三人とも夕食は既に取っているが、やはり女性にとって甘いものは別腹なのだろうと追記しておく。

「…じー」
「サキさん?」
「ルナさん、相変わらずスタイルいいよね…」

上品にお菓子を口に運ぶルナをじっと見つめつつ、サキはぼやく。
視線が令嬢の体のラインを上下に走る。

(やっぱり育ちの違いが戦力の決定的な違いなのかな…)

怪盗活動時の衣装に着替える際、三人は一緒に着替える。
当然、その時にサキは他の二人の下着姿を目にするのだが…
一つ上ということを差し引いてもルナとのスタイルの差は歴然だった。
ルナの身体はハーフである見た目とも相まってまるで西洋人形のように美しい。
華奢な体躯でありながらもその肌は確かな肉感を感じさせ、触らずともその柔らかさを主張しているようだった。
同年代の少女たちとは比較にもならない上質のバストやヒップ、そしてくびれたウエストも見事。
自分やカグヤとは違い、運動に精を出していないせいかやや頼りない筋肉のつき方ではあるが、それがより一層女の子らしさを強調している。
女である自分ですら思わず目で追ってしまいそうな美しさだった。

「サ、サキさん。あの…?」

露骨な視線に耐え切れなくなったのか、ルナは僅かに身を捩って視線から隠れようとする。
そんな何気ない動作ですらも可憐さに満ち溢れていて、サキはこの世の無情を嘆いた。

「いいよねルナさんは、身体も性格も女の子らしくて」
「そ、そんな…サキさんだって」
「いいよ慰めなんて、ボクなんて…フフフ…」

やや虚ろな瞳でサキは自分の身体を見下ろした。
全く視界を遮ってくれない胸にあまりくびれていない腰。
臀部こそそれなりに育ってはいるが、他の二箇所を思うとまったく喜べる要因ではない。

「言葉遣いもこんなんだし、未だにサーカスでも男の子と間違えられることがあるしね」
「え、ええと」
「トライアングルムーン・ラビットとしてだって、スカート穿いてなかったら絶対男の子と間違われてるに違いないよ…」
「そんな、サキさんは可愛らしい女の子じゃないですか」

とってつけたようなフォローだったが、ルナは本気だった。
確かに、サキは一見では女の子っぽい外見ではない。
だが、言動の節々に見える細やかさや気配りは幼い頃からお嬢様として育てられてきた自分や剣の道に一直線だったカグヤにはないものだ。
それは、十分女の子らしいと誇れることではないのか。
そうルナは考え、目の前にいる小さな女の子に憧れすら抱いているのだ。

「ルナの言うとおりだな。それに、私からすればお前のその身体は羨ましい」
「か、カグヤさ…」
「ぐっさー!? 一番言われたくない台詞を一番言って欲しくない人からっ!?」

本人はフォローのつもりだったのだろうカグヤの言葉を聞いてサキが崩れ落ちていく。
傍から聞いていたルナも流石に表情が引きつる。
だが、当の本人はまるで悪気がないのか、あっさりと追撃の言葉を放った。

「猫科の動物を思わせる柔軟で、それでいて野性味を感じさせる筋肉に絶大なバネ。どれも私にないものだ」
「い、言わないで…それ以上いわないでぇ!?」
「か、カグヤさん…それは褒め言葉になっていません」

カグヤとしては褒め言葉のつもりなのだろうが、サキからすれば致命打にすらなる口撃だった。
そもそも、ルナとカグヤでは評価のスタンスが明らかに違う。
カグヤのそれは女の子としてというよりもアスリートとして褒めているようなものだ。

「憎い、そのマスクメロンのようなおっぱいを持ちながらそんな言葉が吐けるカグヤさんが憎い!」
「譲れるものなら譲ってやりたいのだがな…」

私にとっては邪魔にしかならん。
そう言い切って僅かに身を動かし、双乳を弾ませるカグヤにサキは瞬間殺意すら覚える。
平均以上のサイズを誇るルナとて流石に今のカグヤの発言には思うところがあったのか、その目は僅かに温度が下がっていた。

「剣を振るうときには邪魔になる。街を歩けば恥知らずな男どもの視線の的だ。不便極まりない」
「…贅沢な悩みすぎてボクもう死にたいよ」
「あ、あはは…」

ふるふると窮屈そうに服の中で揺れるカグヤの胸を見てサキとルナは同時に溜息をつく。
着替えを共にして判明していることだが、カグヤはブラジャーをつけていない。
さらしで胸を押さえつけているのだ。
にも関わらずその目分量はルナを超えている。
しかも彼女は普段から剣で身体を鍛えているためか、さらしを外しても胸がほとんどたれない。
肌もところどころ軽い裂傷こそあるが、すべすべと滑らかそうな按配だ。
全体的にはうっすらと筋肉質に引き締まった感はあるが、女としての魅力を疎外するまでには至っていない。
そこらのグラビアモデルも真っ青なスタイルだった。

「さ、さて! ボクたちもいよいよ有名人になってきたね!」

流石にこれ以上の話題の継続はむなしいと悟ったのか。
涙ぐましくも、渇いた声で話題をそらそうとするサキが新聞の束を取り出す。
新聞の見出しは大半が怪盗トライアングルムーンの活躍についてだった。

「この新聞なんか一面トップだよ。もうちょっとしたアイドルだよねボクたちって」
「怪盗が目立ってどうする。しかもこの写真、ポーズまでとっているではないか」
「満面の笑顔ですね…」

呆れたようなカグヤと苦笑いのルナのツッコミ。
だが、サキは全く反省した様子を見せずに上機嫌で次々と新聞を捲っていく。

「いいじゃんどうせ仮面つけてるから正体はバレないんだし。それにどの新聞もほとんどが好意的だよ?」
「物珍しさというのもあるんでしょうけど…」

苦笑しつつもルナは嬉しそうな表情で記事に目を走らせる。
カグヤも表情こそ変わらないが不快そうな様子はない。
少女たちは元々大なり小なり正義のためという前提で怪盗活動をしている。
故に、アイドルじみた人気のおかげということを差し引いてもこうして自分たちを肯定してくれる人がいるのは嬉しいことだった。

「ところで、次のターゲットは決まったの?」

そんななごやかな雰囲気の中、サキの放った一言が僅かに空気を変えた。
三人が三人、表情こそ変えないものの瞳の中に真剣さが垣間見える。
いわゆる、仕事モードとでも言おうか。
三人が発する空気は先ほどまでの『普通』の女の子のものではなくなっていた。

「アルテ、お願いします」
「はい」

ブゥン。
メイド服の女性が素早く指を走らせると、三人の前にあったモニターに光がともる。
そこには、ある秘密結社のデータが記載されていた。

「ブラックサン。裏世界ではかなり有名な組織です」
「ほう、今度の獲物はかなり大物だな。ブラックサンといえばこの仕事を始める前の私ですら耳にしたことがある」
「確か、人身売買犯罪を主にしている組織なんだよね?」
「はい。しかも…若い女性を中心に」

苦々しく呟くルナに同意するようにサキとカグヤも渋面を作る。
ブラックサンは若い女性を食い物にしている犯罪組織である。
ミリオンでは若い女性の失踪が相次いでいるが、その全てはブラックサンが関わっているとすら言われているのだ。
当然、組織のターゲットに範疇に入る三人がこの情報を見て愉快な気分になるはずもない。

「今までのターゲットも大概悪人ばっかりだったけど、今回は特に許せないね!」
「全くだ、前途ある女性たちを利用して財を得るとは人間の風上にも置けん」

ぷんすかとわかりやすい怒りを示すサキと、怜悧な瞳を吊り上げるカグヤ。
勿論、ルナも例外ではなくその表情は明らかに義憤に溢れている。
被害にあった女性たちのことを考えると、自分たちの歳も相まってかとても他人事には思えないのだ。

「それで、何を盗るんだ?」
「浚われた女性たちを助けられればそれが一番なのですが…流石にそれはガードが固く、また手が足りません」
「まあ確かに三人でとなると施設の奴らを全員無力化しないといけないもんね」
「はい、それでは私たちのスタイルには合いません。なのでここはいつものようにデータ化された証拠を押さえ」
「それを警察に届けるなりマスコミにリークするなりして奴らを追い込むってわけだね」

その通りです、と頷くルナの表情は僅かに暗い。
個人的な感情としては、女性たちをすぐに直接助けたい。
だが、それは客観的な観点からすれば不可能と言ってよい難事である。

「証拠となりそうなデータが保存されているのは西区域23のAポイントにあるビルです。
 梃子摺りましたが、ようやくハッキングすることができました。
 サンズグループの下部会社として上手くカモフラージュされているようですが…」
「実際は悪の隠れ蓑というわけか」
「はい」

サンズ、という単語にルナは我知らず拳を握り締める。
数時間前に顔を合わせたエスドのことを思い出したのだ。

(あの人が関わっているという証拠はないですが…)

悪の組織というのはボランティアではないので当然金が要る。
その資金の出所はスポンサーからだったり、もしくは組織の母体そのものだったりする。
今回の場合はあくまで下部会社ということなのでトップであるエスドがブラックサンに関わっているという確信はない。
だが、今まで調べた情報によればサンズグループとブラックサンの繋がりは限りなく黒に近い灰色だった。

「決行は三日後。よろしいですか?」
「依存ない」
「おっけー」

頷く二人の仲間を頼もしそうに見つめつつ、エスドの黒い視線を思い出す。
もしもあの男がブラックサンに関わっているのならば一刻の猶予もない。
早く浚われた女性たちを助け、組織を叩かなければ。
パーティーでのこともあり、ルナは表面ではそれとわからず焦っていた。

――それが致命的なミスに繋がる事になるとは気付かずに。